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三角点標石

三角点標石は測量法第10条(測量標)では永久標識とされています。標石は原則として石ですがコンクリートや金属もあります。石材としては昔は小豆島産や三州産(愛知県岡崎)などの花崗岩がつかわれていましたが近江産、伊豆國産の花崗岩と点の記に記載されたものもあります。また花崗岩以外に凝灰岩、安山岩などや地方通称の荒水石、千種石などといったものもあります。

1890年(明治23)に陸地測量標条例によって三角点の標石も規格ができましたが、初期に埋設された標石は現地調達されているものも多く材質も異なっています。また小豆島産の花崗岩が選定されたのは大阪城築城のため使用されたように美観、耐久が優れており埋蔵が豊富なことによるものです。1883年(明治16)に参謀本部の田坂虎之助大尉が企画し当時小豆島の土庄村長でもあった幸島覚治、香川石材店主がこれを受けたものです。親子3代にわたり海外で使用される分も含め全部製作されました。その後、三州(岡崎)産のものも採用したためクレームがあったようです。1896年(明治29)には陸地測量部三角科に標石委員を設けて一括して調達することになりました。戦後は四等三角点標石が多くなり、これも香川石材が製作しましたが1975年(昭和50)頃から香川石材は廃業し小豆島土庄町の四国石材にかわっています。1982年(昭和57)頃、1年間だけ北九州市の石材業者で製造されたことがあるそうです。[国土地理院:測量・地図百年史 1970][陸地測量部:陸地測量部沿革史・明治29年 1922]

明治時代と近年の標石を比べると苔むした具合や字体など明治の方が風格があります。標石は明治時代から戦後しばらくまで石工職人によって一本ずつ手作業で製作、刻字されましたが近年はゴム板にカッターナイフなどで字型をくり抜き型紙(ステンシル)にして、それを整形された標石に被せてサンドブラスト(細砂をジェットで吹きつけ)で刻字します。

右の写真は明治時代と近年の標石の典型例です。前者は京都、岩屋山にある三等三角点「岩谷」5235−55−6601で1903年(明治36)に埋設されたもので後者は奈良、二上山にある三等三角点「女岳」5135−65−2401で1993年(平成5)に柱石交換をされた新しいものです。標石の何等三角点という文字は原則として南面にいれることになっていますが三等以上で原則どおりになっているのは70パーセント程度です。[古市進:三角点の向きについて 「山」755号 2008年4月 日本山岳会 2008 p10]

私の学生時代に父から三角点標石の文字はいずれも南に向けてあり、これは苔類の侵蝕から保護するためであることを聞かされました。 [柴崎芳博:一測量官の生涯 ケルン 4 朋文堂 1959]

戦後は何等三角点という文字以外に東面に「基本」、西面に「国地院」、地理調査所時代のものは「地理調」という文字なども入っています。「基本」は国土地理院が主体となって行う測量で測量法で定められた「基本測量」を意味します。

標石の形状と寸法

三角点標石の形状と寸法は測量法施行規則第1条(測量標の形状)で定められています。寸法は「おおむね次の表のとおりとする」となっており、とくに古い標石はこのとおりなっていない場合が多く見られます。

三角点の位置での標高ですが、どのような標石でも上面の十字の窪んだところではなく上平面のところが測量位置になります。

盤石と下方盤石

標石は柱石盤石(一等三角点はさらに下方盤石)からなりたち柱石は上部約15センチメートルを地上に露出するように埋設します。地中60センチメートル程度埋まっておりその下に盤石があります。盤石にも十字が刻まれ柱石の十字交点からの鉛直線に一致するよう埋設してあり柱石が万一消失したときに復元することができます。写真の盤石は谷川岳の三等三角点「薬師岳」5538−17−9401のものです。このように盤石まで露出してしまった場合は三角点の復元は不可能です。また下方盤石については、もともと上下おなじ大きさであったものが軽量化をはかるため小型化されたものです。この写真は「四国石材」の展示品を許可を得て撮影したものです。

山岳地帯など地盤が強固な岩石であるような場合は盤石は設置されないこともあります。三等三角点「萌礼牛」6645−32−1501の点の記によると「盤石ヲ埋定セズ大ナル天然岩石上ヲ水平面ニナシ+ヲ刻シ柱石ヲ埋定ス」となっています。

標石の軽量化

標石本体の重さは一等三角点標石で90キログラム、盤石は45キログラム(二、三等では標石65キログラム、盤石30キログラム、四等では40キログラム、盤石20キログラム)あり険しく高い山へ人力で担ぎ上げるのは大変だったと想像されます。戦後は標石のかわりに金属標がつかわれることもありますが1996年頃から炭素繊維強化コンクリートを中空にして上面に金属標を固定した軽量標識というのが四等三角点で使われています。重さは本体のみ盤石除きで20キログラム程度です。

明治30年代には標石設置に要した経費と日数はおおよそ一等三角点で524円、36日二等三角点79円、10日、三等三角点34円、5日であったそうです。[陸地測量部:陸地測量部沿革史・明治36年 1922]100年前からの物価上昇率(賃金)は7万倍[経済企画庁:公共料金ハンドブック」として標石1個の設置に数百万円から数千万円かかったことになります。

保護石、蓋石、標示杭

また柱石を保護するために標石の周囲に2〜4個の保護石(かつては防衝石ともいわれました)を埋設したりコンクリートで固めたりします。都心部など、必要な場合は柱石を地下に設置しその上に蓋石(がいせき、ふた)をのせることもあります。写真の保護石の例は滋賀の三等三角点「膳所」(ぜぜ)5235−37−9101です。また蓋石の例は東京の三等三角点「南千住」5339−46−7401です。

三角点標石のそばには「基本測量」、「大切にしましょう三角点」など書かれた白い細長い杭が立っていることがありますが、これは三角点標示杭といい一辺6センチメートルの角材で長さ1メートルのものを40センチメートル地中にいれることになっています。木製やプラスティック製のものがあります。これがあると遠くからでも三角点標石をみつけることができます。写真の例は福井県の一等三角点「野坂岳」5336−30−0201の傍にあるものです。

変わった三角点標石

三角点標石は形状、寸法、刻字などが規格化されていますが1890年(明治23)に陸地測量標条例が制定される以前の初期の標石や、そのほか諸般の事情で規格に合致しない標石は多く見られます。古いもので特殊な例としては皇居東御苑にある三等三角点「本丸」5339−46−2001では旧天守台の石垣に直接+印と「三等三角點陸地測量部」と刻字されています。通常は遠くから蓋石しか見ることができません。また大雪山系の緑岳(松浦岳)にある三等三角点「南大石狩」6542−37−7301は標石を用いず自然石に「三等三角点 陸測」と刻字されていると点の記に載っていますが2006年(平成18)時点では不明になっています。現在、熊の出没が多いようですが現地調査をされた横浜のAさんによると山頂にある大きなケルンに埋もれているかも知れないとのことでした。

×印の黒法師岳
点名:黒法師岳
地図:寸又峡温泉

三角点標石の上面には、ふつう中心を示す+印が彫られ東西南北の方位を示していますが例外もあります。右上の写真は南アルプス深南部(静岡県)の黒法師岳にある一等三角点「黒法師岳」5238−60−3201ですが+印でなく×印になっています。この三角点は1894年(明治27)館潔彦陸地測量師により選定され翌年、古田盛作陸地測量手により標石埋定されていますが1905年(明治38)に改埋された記録があります。改埋のときに標石が取替えられたかどうかは不明です。1890年(明治23)には陸地測量標条例が制定され標石の規格もできあがっていますから×印はよほどの事情があったのでしょう。

矢印の陣馬平山
点名:陣馬平
地図:信濃中条

長野市の陣馬平山にある一等三角点「陣馬平」5438−70−7601は一見なんの変哲もない三角点です。しかし+印のところの腐葉土を取り除き洗い流してみると一画6.5センチメートルの十字の端、4ヶ所がそれぞれV字形に長さ8ミリメートル程度切り込まれ矢の後端部の矢羽のようになっています。末端のVの開きは約1センチメートルです。なぜこのような形状になったのか記録はありません。

+印の鮮明な篠山三嶽
点名:御岳山
地図:宮田

篠山市の北部、多紀連山にある三嶽(みたけ)の一等三角点「三嶽」5235−51−4901は典型的な一等三角点標石ですが上面の+印は深くV字形に鮮明に彫られています。材質は花崗岩でなく凝灰岩と思われます。

+印の彫りが深い鳥取大将山
点名:大将山
地図:倉吉

JR倉吉の北西約5キロメートル、東伯郡北栄町大字曲字大将寺山にある一等三角点「大将山」5333−16−6401です。この三角点標石の大きさは一辺18センチメートルで標準の一等三角点ですが上面の+印は一画6.5センチメートルあり深く彫りこまれています。深さはおおよそ1.5センチメートルです。

+印が大きい愛知蓬莱寺山
点名:瑠璃山
地図:三河大野

愛知県新城市の北、鳳来寺山頂にある三等三角点「瑠璃山」5237−34−7601です。この三角点標石は標準型の一辺15センチメートルの角柱ですが上面の+刻印は一画10センチメートルの特大で上面の縁が全周にわたり損傷しているため+印が一層大きく見えました。盤石も一部が露出していました。

縁取りされた弓削豊島
点名:豊島
地図:魚島

弓削豊島(ゆげとよしま)は愛媛県上島町にある瀬戸内海の小島ですが二等三角点「豊島」5133−22−7101があります。三角点標石は上面と四側面には縁取りがあり刻字は北面に右書きで「二等」、縦書きで「三角點」(點は「里」と「占」両方にかかるように下に四つ点)、東西の一辺16、南北の一辺14.5センチメートルと長方形、上面十字の一画は5.5センチメートルで縁取りは端から幅1センチメートルです。

豊島には「豊島石」といわれる良質の花崗岩を産出し1877年(明治10)頃から採石が始まったそうです。三角点も「豊島石」で縁取りのある標石も豊島で加工されたかもしれません。

座り心地のよい晃石山 (てるいしさん)
点名:晃石山
地図:栃木

栃木市近郊にある一等三角点「晃石山」5439−45−2401です。標石は一等三角点ですが柱石部の一辺が21センチメートル、柱部分の高さは18センチメートルあります。一等三角点の規格は一辺18センチメートル、高さ21センチメートルが標準になっていますからほかの三角点よりも上面が広く座り心地も快適です。明治後期に設置されたとき、辺長と高さを取り違ったのかもしれません。

面取りの一事例、高尾山
点名:高尾山
地図:与瀬

三角点標石は上面、側面が隅切りされています。ここに載せたものは二等三角点「高尾山」5339−31−4901です。東京近郊の一等三角点では、このような事例を稀に見ることがありますが二等三角点としては珍しいものです。

 

 

丸みのある上面、泉山 (いずみがせん)
点名:泉ヶ山
地図:奥津

岡山県にある一等三角点「泉ヶ山」5233−67−3601です。この標石は一辺19センチメートルで、地上高さ13センチメートルの角柱ですが上面の四辺から側面にかけて丸みのある隅切りがあります。丸みの半径は3センチメートル程度です。このように極端に大きい隅切りがある標石は珍しいものです。



異字体の一事例、千丈寺山
点名:千丈寺山
地図:藍本

写真上は京都の三等三角点「芦生」5235−75−8901でよく見かける明治時代の典型的な標石の例です。「三角點」の「角」は「々」に「肉」を組み合わせたような字体、「點」は「里」と「占」の両方の下に「黙」のように四ッ点があります。また「等」の「竹」冠(かんむり)にかわり「草」冠の旧字体で「+」が2つ横に並んだような冠のものもあります。これらは現在、常用されている漢字にはありませんが変形の多い篆書体(てんしょたい)に近いもので古く中国から伝わり印判や石碑の篆刻(てんこく)にはよくつかわれています。いずれの字体も「五體字類」には例示があります。[法書會編輯部纂:五體字類 西東書房 1916 等:p380、角:p475、點:p608]

しかし写真下の兵庫、三田市近郊の一等三角点「千丈寺山」5235−31−5701は「點」の文字どおり、へんが「黒」、つくりが「占」になっています。このような事例は全国で稀に見ることができます。また戦後の四等三角点でも、このような刻字が見られます。



異字体の加古川城山
点名:志方城山
地図:加古川

兵庫、加古川市近郊の一等三角点「志方城山」5234−16−9801です。この標石は戦後、取り替えられたらしく南面は左書きの「一等」ですが「三角点」の「角」が古い三角点のように「々」の下に「肉」に似た古い字体になっています。西面には「国地院」東面は「基本」と刻字があるのは戦後の三角点と変わっていません。京都府南山城村の三ヶ岳にある三等三角点「童仙房」5235−17−6601もこれと同様に新旧の字体が混在しています。

異字体の十種ヶ峰
点名:徳佐ヶ峰
地図:十種ヶ峰

山口と島根の県境にある一等三角点「徳佐ヶ峰」5151−55−2501です。この三角点標石の刻字は細い毛筆体で彫られており、「三角點」の「角」の文字も「々」の下が「用」になっています。初期の点の記によれば1890年(明治23)に高井鷹三陸軍工兵曹長により標石が埋定されたことになっていますが、現存の標石が当時のものかは不明です。

異字体の高峠
点名:高峠
地図:武蔵府中

川崎市多摩区片平にある修廣寺の裏山にある三等三角点「高峠」5339−34−1001です。標石は花崗岩ですが表面は滑らかに磨かれて墓石のようです。刻字は毛筆体で彫られており「三等」は左書き、三角点の「角」、「点」はこのとおり新字体です。左右測面の「国地院」「基本」も同様に毛筆体で彫られています。

琉球政府のコンクリート標石、一事例
点名:旭ヶ丘
地図:那覇

標柱は旧琉球政府のものでコンクリート柱ですが四等の字の反対側に縦に琉球と刻字されています。この事例は那覇市内にある四等三角点「旭ヶ丘」3927−25−5302です。戦後物資の少ない時代に設置されたもので当時の苦労が偲ばれます。


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