金星太陽面通過観測

金星観測遺跡
地図:長崎東北部、神戸首部、横浜東部

1874年(明治7)12月9日に太陽、金星、地球が一直線にならぶ金星の太陽面通過という現象がおこり、わが国では長崎、神戸、横浜などで欧米各国の観測隊により観測されました。

内務省地理寮では品川の御殿山に観測機器を設置してお雇い英国人ヘンリー・シャボーの指導により観測、海軍観象台でも観測されました。また皇居では開拓使のお雇い米国人デイ大尉と開拓使五等出仕荒井郁之助の奉仕、説明により明治天皇の天覧がありました。[原田朗:荒井郁之助 吉川弘文館 1994 p144]

観測の目的は金星が太陽面を通過する時間を地球上の異なった地点から計測することによって太陽と地球の距離(天文単位 AU)を求めるためで地図測量とは直接の関係はありません。長崎での金星の太陽面通過現象観測はフランス隊と米国隊によって、それぞれ金比羅山と5キロメートル離れた星取山(当時は大平山といった)に観測施設をおき実施されました。

米国隊はこの観測の機会に長崎にいた隊長のダビッドソン(George Davidson)と東京麻布の海軍観象台に派遣されたチットマン(Otto H.Tittmann)により長崎・東京間の経度差を観測しました。その結果現在、東京にある日本経緯度原点の近傍にチットマン点が設定されました。1871年(明治4)にはウラジオストック・上海・長崎の間は有線電信路(海底ケーブル)が布設されており、さらに1973年(明治6)には長崎・東京間の有線電信路が建設されたため大陸諸国と東京の経度差(ロンドンを基準とする経度)が明らかになったわけです。[日本科学史学会:日本科学技術史大系 第14巻 地球宇宙科学 第一法規出版 1965 p61][内務卿第三回年報 1878(復刻版 三一書房 1983 p32)][地理局第三回年報 1878(復刻版 三一書房 1983 p541)]

經度電測は多分金星経過以前にやったものであろう。此測點には標石等もなく、唯觀測器械臺の地盤らしいものを残せる許りである。 [田代庄三郎:長崎に於ける經度電信測量の測點 「天文月報」第九巻一號 日本天文學会 1916.4 p4]

金星経過は12月9日で経度測量は12月20日から翌年1月2日にかけて実施されています。この経度測量には海軍水路寮の肝付兼行(きもつけ かねゆき、旧姓大伴 1853〜1922)海軍中尉などが金星経過観測にひきつづき派遣されています。また開拓使出仕の福士成豊は函館において金星経過を観測し、さらに1876年(明治9)肝付兼行とともに東京・青森間の電信による経度測量が実施されています。[海上保安庁水路部:日本水路史 日本水路協会 1971 p47]

長崎金比羅山の方にはフランス隊の記念碑、観測台跡、経緯度確定の地記念碑がありますが星取山にはなにも残っていません。フランス隊(隊長ジャンサンJ.Janssen)が建てた記念碑はピラミッド状で地上高さ2.2メートルあり観測年月日や隊員名が刻まれています。苔むしていますが正面のVENUSの文字は読めます。その東24メートルの地点に1993年(平成5)に発見された観測台跡が残っています。幅50、奥行65、地上高56センチメートルのレンガ造です。さらにピラミッドから12メートル離れて「我が国初の経緯度原点確定の地」記念碑が1997年(平成9)長崎県測量設計業協会により設置されています。フランス隊の記念碑と観測台跡はそれぞれ1960年(昭和35)と1995年(平成7)に長崎県指定史跡になっています。

神戸市街地のすぐ北に隣接している諏訪山の麓には諏訪神社がありますが、そのすぐ南には金星台とよばれる広場があり「金星観測記念碑」が建っています。神戸ではフランスの別動隊(本隊は長崎に駐留)が諏訪山に拠点を設置しました。記念碑の石柱は1855年(安政2)の大地震のときに破損した生田神社の鳥居を利用したものです。

横浜ではメキシコ隊(隊長はコバルビアスFrancisco Diaz Covarrubias)が野毛山(現宮崎町)と山手(現フェリス女学院)で観測をおこないました。当時の観測台の一部が宮崎町の住宅街空地にまだ残存しています。一辺70センチメートル高さ40センチメートル程度の立方体の石で中央に線が入っており、そばには「金星太陽面経過観測用台石」の碑が立っています。またJR桜木町から紅葉坂を登ったところにある県立青少年センターの前にはメキシコ隊の金星観測100周年を記念して1974年(昭和49)にモニュメントが建てられています。「EL TRANSITO DE VENUS 9 DICIEMBRE 1874 金星太陽面経過観測記念碑」といきさつが彫られており日本の水路寮の吉田海軍中尉も観測に関与したことがわかります。そのためか、このモニュメントの台石には海上保安庁水路部の測点標識(金属標)が埋め込まれています。

金星の太陽面通過現象は8年、121.5年、8年、105.5年の一連の間隔として繰り返されます。1874年(明治7)のつぎは1882年(明治15)でしたが米国の東海岸と同経度においてのみ観測できました。(昼間しか観測できません)日本では130年ぶりに2004年(平成16)6月8日午後に見られることになりました。残念ながら、わたしの住んでいる京都は当日、雨でその機会を逸しました。

水星の太陽面通過も1878年(明治11)5月7日にあり当時の地理局雑報に予告があります。[内務省地理局:地理局雜報 六號 1878 p7]


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