富士山の測量

富士山の高さ
地図:富士山

三角点のある山で最高峰は富士山です。もともと富士山は「比べられない唯一無比の高峰」ということから「不二」と呼ばれ、鎌倉時代以降「富士」と書くようになりました。高さは1727年(享保12)に福田某(履軒ともいわれます)が3895メートルとしています。[山崎美成:世事百談 天保十四年発行 復刊 日本随筆大成 第一期 18 吉川弘文館 1976 p111]

1803年(享和3)に伊能忠敬が測り、その後シーボルトやオルコック(初代英国公使)などの外国人もふくめ何度も測定されています。明治初期に東京大学理学部教師であったW.S.チャプリンはオルコックの測定(4322メートル)以来11件の事例を挙げ詳細に検討しています。大部分はクニッピングなどの外国人による気圧計をもちいた測定ですが内務省地理局の中村精男、和田雄治による測定(3823メートル)も含まれています。[T.C.メンデンホール、山川健二郎:東京気象編 富士山ノ高度(理學部教師 ダブリュー、エス、チャプリン原撰) 東京大學法理文學部 1880頃 p78 (京都大学附属図書館蔵)]

現在は富士山の剣ヶ峰にある二等三角点「富士山」5338−05−2801は標高3775.6メートルで、この位置より北へ12メートルのところある岩が3776.2メートルで最高地点になっています。富士山の山頂、噴火口を取り巻くお鉢には剣ヶ峰とはべつに白山岳といい二等三角点「富士白山」5338−05−3801があり標高は3756.4メートルになっています。

もともと富士山は明治中期の一等三角測量では三角網に入らず一等三角点は設置されなかったのです。富士山は周辺の山々より極端に高く水平角の測量で高低差による誤差が多くなり、また当時、測量器材や人員の移動、滞在が難しいこともあり最初から一等三角点を置くことは考えなかったようです。

しかし1885年(明治18)には木杭による四等三角点を白山岳に設置し山麓の四つの三角点から前方交会法により水平位置と標高3753.4メートルを求めました。山麓の四つの三角点は二等三角点「竜ヶ馬場」5338−06−4501、三等三角点「高丸尾」5338−06−7401、三等三角点「出丸尾」5338−16−2001、三等三角点「如婦貴」5338−15−3801です。この四等三角点については「富士山測站」として国土地理院に点の記が残存しており覘標の欄には「種類 標竿地上 標杭二寸角長二尺 明治十八年八月二十二日構造」とあります。

1887年(明治20)には白山岳の四等三角点から剣ヶ峰の最高点までお鉢にそって導線法による平板測量がおこなわれました。四等三角点から出発してつぎつぎ平板を据え付けお鉢の要所、要所に立てた目標をアリダードで狙い目標の位置を図上で決定して標高差をアリダードから読み取り最終的に標高3778メートルを求めました。この測量での剣ヶ峰の最高点は現在の最高点の位置であるかどうかは不明です。

その後、1890年(明治23)、白山岳の四等三角点の位置に三等三角点標石が埋設されていますが、この理由は明らかでありません。技術的な問題ではなく単に三角点を設置したいという願望か、当時開催された第三回内国勧業博覧会に富士山の模型や地形図原図が出品されたことが、きっかけともいわれています。

すこし横道にそれますが1895年(明治28)富士山で越年気象観測を試みた野中至(のなか・いたる 1867〜1955)の著作「富士案内」には挿画として中村不折(なかむら・ふせつ 1866〜1943)の「万年雪」と題するスケッチが載っており八合目小屋を中央に右端に剣ヶ峰とみられるピークが、左端にはの白山岳とみられるところに測標が描かれており測標には「三角測量標」と注釈があります。富士案内の原本は1901年(明治34)に発刊されていますから初期の白山岳の測標(覘標)とおもわれます。[野中至・野中千代子著、大森久雄編:富士案内 芙蓉日記 平凡社 2006 p16]

ついで1926年(大正15)、関東大震災後の震災復旧測量にともなう二等三角測量のときに北方に視通のよい白山岳と南方に視通のよい剣ヶ峰の2点が二等三角点として選ばれて観測されました。ふつうの山ならば山頂に1点でよいのですが富士山の場合、火口が大きく反対側から見えないので2点設置されたのです。この2点は現存する三角点で、白山岳の方は二等三角点「富士白山」5338−05−3801で剣ヶ峰の方は二等三角点「富士山」5338−05−2801です。白山岳「富士白山」の方は旧四等三角点から南西12.5メートルの位置で、4メートル高くなっています。この位置に1887年(明治23)設置された三等三角点標石が改埋されました。白山岳「富士白山」の初期の点の記によれば「明治二十三年八月埋石セシ標石ヲ用フ」となっています。一方、剣ヶ峰「富士山」の方は新たな標石が設置されました。

まず山麓東の既設三角点2点(二等三角点「竜ヶ馬場」5338−06−4501と三等三角点「高丸尾」5338−06−7401)の標高を近傍の二等水準点から測標水準測量(直接水準測量)によって求めました。二等水準点は沼津から御殿場、富士吉田経由、大月までの水準路線(服部林蔵測量掛による測量)上にあります。この既設三角点2点と白山岳「富士白山」との標高差を高度角測定法(間接水準測量)により三等経緯儀で山頂、山麓の両方から観測して3756.8メートルと決定し、ついで白山岳「富士白山」と山麓南の既設三角点(三等三角点「印野村猿」5238−76−3401)を与点(既知点)として剣ヶ峰「富士山」の標高3776.3メートルを高度角測定法により決定しています。剣ヶ峰「富士山」の初期の点の記によれば「頂上ノ最高ハ標石ヨリ北方約十米ノ岩ニシテ標石ヨリ高キ事〇米一五ナリ」となっています。この位置も1880年(明治20)に観測された最高点と同じか、あるいは現在の最高点の位置であるかどうかは不明です。

ところが剣ヶ峰「富士山」の三角点標石は設置後30年を経て周囲の岩石が崩壊し標石も露出倒壊のおそれがでてきました。じつは基礎ごと火口内に崩落して亡失してしまったという話もあります。そこで1962年(昭和37)にコンクリートの台座を再製し四捨五入をすれば3776メートルになるよう3775.6メートルという高さに調節され新しい三角点が設置されました。もうひとつの三角点、白山岳「富士白山」も標石が露出し1964年(昭和39)に低下改埋され3756.4メートルになりました。

富士山は日本最高の山ですから極めて正確な標高を求めたいところですが、地図作成の目的からは間接水準測量で十分な精度が得られます。また麓からの水準儀による直接水準測量をおこなえば水準路線を構成するために相当な労力を要し経済的に難しいからです。

その後1977年(昭和52)に地震予知計画による精密測地網測量で山頂の標高観測が行なわれました。従来の経緯儀による角観測ではなく光波測距儀による斜距離の測定値から算出するものでしたが従来の値を更新するだけの精度がなく改訂はされませんでした。また1989年(平成1)には最高点の調査がおこなわれ標高3776.2メートルということになっています。[高嶋重雄:富士山の高さ 「国土地理院時報」No.41 1971 p24][五百沢智也:山の標高にこだわる 「へるめす」33号 岩波書店 1991 p143][鈴木弘道:山の高さ 日本測量協会 1993 p65][箱岩英一:富士山の高さ 「地質ニュース」590号 産業技術総合研究所地質調査総合センター 2003 p23]

また1990年(平成2)には民間測量業者によりGPS観測と同時に御殿場から山頂まで二等水準測量が行われ山頂の三角点標高は3775.7メートルとされ、さらに1996年(平成8)に静岡大学と民間測量業者が水準測量路線に沿った重力測定をもとに補正を行ない標高は3776.2メートルとされましたが国土地理院の測量でないため非公式の値となっています。1992年(平成4)、今後の三角点標石の崩壊に備え再現可能なように測候所の土台の補助点が2ヶ所設置されました。

2002年(平成14)には国土地理院により電子基準点「富士山」5338−05−2802が設置されました。電子基準点のピラー(柱の部分)は約3メートルあるので電子基準点の標高(アンテナ底面)は3777.5メートル、付属標の標高は3774.9メートルになります。従って、この電子基準点は二等三角点「富士山」を抜いて日本一高い基準点となりましたが、これによって一般に知られている富士山の標高3776メートルを変更することはないという国土地理院の見解です。


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