全国の一等三角測量、一等水準測量は大正はじめに終了し第一次大戦後、日本の委任統治領になった南洋諸島の測量も開始されています。1924年(大正13)北海道の地形測量を最後に日本の基本測量が完了しました。1925年(大正14)には全国の五万分の一地形図刊行が完了し「参謀本部の地図」、「陸測の五万」と呼ばれ軍事、行政、民間にも広く利用されました。大正後期には地上写真測量や航空機による空中写真測量も行われました。
以降、陸地測量部の事業は朝鮮、台湾、樺太、満州などの外地へ向けられることになりました。1937(昭和12)の日中戦争以降、地形図は防衛上秘密を要する地物を偽装改描して市販されましたが1941年(昭和16)の第二次世界大戦勃発時には地図の販売は全面的に停止されました。陸地測量部は測量、製図技術者を戦地に派遣し作戦図ための測量がされ、また戦局の悪化にともないは本土決戦に備えた作戦図が作成されたりしました。また終戦直前には陸地測量部全機関が松本市郊外の波田村(現波田町)へ移転しました。当時疎開の資材が新宿駅で空襲のため貨車ごと炎上し多数の資料も失われました。
陸地測量部の俸給、給料
1939年(昭和14)に発行された「測地便覧」によると陸地測量部の武官の俸給は月額で少将で417円になっています。少将は現在の陸上自衛隊陸将補に相当すると思われますが、俸給についてはいろいろ条件があり比較はできません。大尉は138円、少尉は71円です。文官の俸給は月額で陸地測量師六級は152円、陸地測量手六級は75円です。また測夫四等は日額で1.4円です。陸地測量師、陸地測量手はそれぞれ一級から十一級まで、測夫は一等から八等まであり陸地測量師一級ともなれば中佐クラスの俸給になるようです。[陸地測量部三角科:測地便覧 昭和14年度版 陸地測量部 1939 p214]
陸地測量部の歌
陸地測量の歌というのがあります。1943年(昭和18)堀内敬三の作詞、作曲で藤山一郎の歌で日本蓄音器(コロンビア)のレコードにもなっていました。その一部はつぎのとおりです。
(紹介文の一部)
歌曲は行進調で而も合唱高唱に適し衝天の意気を以て高唱する所、歌曲は能く朔北の荒野に豺狼も畏縮し炎熱の大密林に虎鰐も潜逃せしむるであらう。
[堀内敬三:陸地測量の歌 略解 「地圖」 陸地測量部 1943.8 p42(この紹介記事は「鈴」のペンネーム(堀内とは別人)になっています)]
(歌詞の一部)
(第一章)
御稜威(みいづ)あまねく 八紘に 輝きわたる新世紀
皇軍きほき 征(ゆ)くきはみ 民族こぞり 起つところ
大地のすがた 明かに 顯(あら)はす使命 我は負ふ
(第二章)
千里の外に 戰ふも 地を知る将の 斷つよく
国土を興す 經綸も 地の利によりて 計は成る
一葉の地圖 輕からず 國運ここに かかるあり
(第五章)
我をつつしみ 實に則る 誠心(まごころ)凝りて 成せる圖に
科學の粋は あつまりて 百錬の技は きはまりぬ
ああ此の地圖ぞ 先哲の 偉勲をつぎし 成果なる
(第三、四、六章省略)
[堀内敬三:陸地測量の歌略解 「地圖」 陸地測量部 1943.8 p42−43]
「經綸」(けいりん)は国家を治めることです。全6章より成り立っていますが時期が時期だけに軍事色のつよいものになっています。