利根川上流の右岸にある測量標石はほとんど神社境内にあります。典型的な形としては一辺15、高さ30センチメートル程度の花崗岩の角柱で上面には球分体があり側面には「基標 No.××」(×は数字)、「埼玉縣」「B.M.」(ピリオドは刻字が薄く不詳のものあり)の刻字と几号の刻印が見られますが、この例によらない標石もあります。埼玉県によって設置されたものと思われますが確証はありません。
大利根町砂原 鷲神社の水準点
地図:栗橋
利根川にかかる埼玉大橋の南、砂原の県道交差点から南西にある砂原の鷲神社本殿西に隣接して標石が見られます。
標石の大きさは一辺15センチメートルの角柱で地上高は26センチメートルです。上面の球分体は直径3.5センチメートルあります。南面は「基標 No.13」東面は「埼玉縣」北面は几号の刻印、西面は「B.M.」と刻字されています。几号の大きさは横棒8、縦棒12センチメートル、横棒中央までの地上高さは16.5センチメートルになっています。
10月半ばというのに社殿裏には桜が咲いていました。鷲神社は近くの大利根町佐波にもあり、こちらにも水準点が設置されています。
大利根町佐波 鷲神社の水準点
地図:古河
東武日光線新古河の西南3キロメートルの地点にある利根川にかかる埼玉大橋の南西、鷲神社の本殿西で本殿と同じコンクリート基礎上にあります。
標石の大きさは一辺15センチメートルの角柱で基礎上の高は28センチメートルです。南面は「基標 No.11」、東面は「埼玉」(「縣」は埋没)、北面は几号の刻印、西面は「B.M.」と刻字されています。几号の大きさは横棒9、縦棒12センチメートル、横棒中央までの地上高さは17.5センチメートルになっています。
羽生市常木 常木神社の水準点
地図:館林
利根川にかかる埼玉大橋と利根川橋(東北自動車道)の中間、利根川沿いの常木集落にある常木神社、本殿に向かって右奥の小祠前に水準点が見られます。
標石の大きさは一辺15センチメートルの角柱で地上高は6.5センチメートルでほとんど埋没しています。上面の磨耗した球分体は直径3.5センチメートルあります。南面は「基標 No.17」東面は「埼玉縣」(「玉縣」は確認不可)北面は几号の刻印、西面は「B.M.」と刻字されています。几号の大きさは横棒8.5、縦棒11.5センチメートルで土中にあります。この標石とはべつに境内には戦後、建設省によって設置されたと思われる水準点もありました。
羽生市上新郷 白山神社の水準点
地図:館林
利根川にかかる昭和橋の南端から西600メートル地点にある白山神社の水準点です。長い参道の東側、本殿の手前60メートルのところにあります。
標石の大きさは一辺18センチメートルの角柱で地上高は20センチメートルです。上面の球分体は直径10センチメートルあります。南面は几号の刻印と「No.7」、北面は「埼玉縣」(「縣」は埋没)と刻字があります。
行田市須加 雷電社の水準点
地図:妻沼(めぬま)
行田市の利根川にかかる武蔵大橋南詰め近く、須加(すか)集落にある須加小学校南の田んぼに「雷電社」という祠があり、祠の裏に標石がみられます。利根川の南500メートルにあたります。
標石の大きさは一辺15センチメートルの角柱で角柱部の高さは30センチメートル、荒削りの部分を含めた全体の地上高は60センチメートルあります。南面に几号の刻印があり「不」の字の横棒は8センチメートル、縦棒は12センチメートルです。西面は「埼玉縣」(縦書き)、北面は「基標 No.29」と横二段書き、東面は「B.M.」と刻字されています。上面は四隅が丸く切られており中央には球分体の磨耗した跡形が残っていました。標石には以前、燈篭の傘のような石が載せてあったそうで、すぐそばに残置されていたものを復元し写真を撮りましたが石材が標石と違い後年、近隣の人が載せたものとおもわれます。 11月も末、午後5時過ぎで小雨降るなか、あたりは暗くなっていました。
雷電社境内でこの標石の北隣には几号とはべつの測量標識が2点ならんでいます。すぐ北は粗雑なコンクリート製で上面には鉄びょうが打ち込まれた水準点で、さらに北隣には水資源開発公団の二級基準点あります。
行田市北河原 十二所神社の水準点
地図:妻沼
行田市北河原小学校のすぐ北にある十二所神社の境内、本殿に向かって鳥居の左脚から西へ2メートルの地点にあります。
標石の大きさは一辺15センチメートルの角柱で地上高は34センチメートルです。上面の球分体は直径3.5センチメートルあります。南面は「B.M.」、東面は「基標」(極めて薄い刻字)「No.33」(38とも読めます)、北面は「埼玉縣」と刻字があり西面は几号の刻印があります。几号の大きさは横棒8.5、縦棒11.5センチメートル、横棒中央までの地上高さは23センチメートルになっています。
この集落にお住まいのご隠居さんに神社境内の碑や近隣のことをお聞きしました。
熊谷市弁財 厳島神社の水準点
地図:妻沼
熊谷市(旧妻沼町)弁財の厳島神社境内の西南、道路側にあります。標石は傾き倒置されてあります。
標石の大きさは一辺15センチメートルの角柱で地上露出部分の長さは26センチメートルです。上面の球分体は直径4センチメートルあります。倒置状態での南面は「基標 No.36」、東面は「埼玉」(「縣」は埋没)と刻字があり、念のため同行のIさんに掘削していただいたところ地面に向かった側(南面の反対側)には几号が刻印されていることを確認しました。東面の反対側は「B.M.」と思われますが埋没して確認できません。几号の大きさは横棒8.5、縦棒11.5センチメートルになっています。
熊谷市八ツ口 伊勢神宮の水準点
地図:妻沼
熊谷市(旧妻沼町)八ツ口の伊勢神宮にありますが二万5千分の一地形図「妻沼」の八ツ口にある神社記号の位置にあるところより北西200メートルの位置にあり、標石は祠に向かって参道右側にあります。
標石の大きさは一辺15センチメートルの角柱で整形部の高さは30、荒削り部を含めた全体の地上高は75センチメートルです。上面の球分体は直径3センチメートルあります。南面は「埼玉縣」、東面は几号、北面は「B.M.」、西面は「基標 No.39」の刻字があります。几号の大きさは横棒9、縦棒12、横棒中央までの地上高さは72センチメートルになっています。
熊谷市出来島 雷電神社の水準点
地図:深谷
JR熊谷の北12キロメートルの地点で利根川のすぐ南にある出来島集落の雷電神社境内で鳥居と本殿の間、西にあります。利根川を横断をしている送電線のすぐ東が目標になります。
標石の大きさは一辺15センチメートルの角柱で高さは30センチメートル、荒削り部を含めた全体の地上高が55センチメートルあります。東面は「B.M.」、南面は几号の刻印、西面は「埼玉縣」、北面は「基標 No.44」と刻字されています。この標石は保存がよく美しい状態で立っていました。
深谷市江原 聖天堂の水準点
地図:深谷
利根川沿いの県道45号(本庄妻沼線)を熊谷市(旧妻沼町)から深谷市に入ったばかりのところの南側に摩利支天堂がありますが、そこから北へ200メートルほどのところに位置する聖天堂の傍、ねぎ畑との境に標石が横倒しで放置あります。
標石の大きさは一辺15センチメートルの角柱で整形部の長さは30、荒削り部を含めた全体の長さは120センチメートルです。上面には球分体の痕跡があります。倒置された状態で上面は「埼玉縣」の刻字があり垂直面は几号が刻印、その対向面は「基標 No.48」の刻字で下面(「B.M.」か)は不明です。几号の大きさは横棒9、縦棒12センチメートルになっています。
深谷市江原の小三角點
地図:深谷
JR高崎線深谷の北東7キロメートルで利根川の南に江原の集落があります。利根川とはべつに小山川がこの位置で合流しています。小山川の堤防のすぐ南、ぬかるみの畑(休耕か)のなかに「小三角點」があります。
標石は花崗岩、大きさ一辺15.5センチメートルの角柱で高さは柱石整形部32、荒削り部30センチメートルになっています。上面には辺間に深く十字が彫られています。刻字は北面は「小三角點」、東面は「第一區土木監督署」、南面は「埼玉縣」、西面は「中7」の刻字があります。どのような目的で設置されたものかわかりません。
「第一區土木監督署」は1886年(明治19)に内務省の組織として発足し1905年(明治38)には東京土木出張所になっています。このことから察すると標石は明治中期から後期にかけて設置されたようです。[内務省東京土木出張所:利根川改修沿革考(明治年間)1928 p33、37]
深谷市江原論所堤跡の水準点
地図:深谷
深谷市の江原集落に深谷市指定文化財史跡「論所堤(ろんじょてい)定杭(じょうぐい)」というのがあります。利根川と小山川の合流地点で「小三角点」から100メートルほど南の農道角にあります。定杭のそばには水準点標石が見られます。
定杭は東西21、南北14、地上高さ48センチメートルの角柱で南面は「定杭一番」東面には「文久二戊年十一月」の刻字がみられます。また水準点標石は一辺18センチメートルの角柱で地上高は23センチメートルで上面には直径8.5センチメートルの大きい球分体があります。南面には「埼玉」の刻字がみられ北面もなにか刻字があるようですが磨耗が著しく不明でした。後日、再度詳しく調べましたが、やはり几号と「No.11」の刻字のようです。几号は横棒7、縦棒8センチメートルの小さいものです。
「論所堤」は利水と治水の利害関係をめぐって上流と下流が争った場所で「定杭」は協定した堤防の高さを明確にする標石と思われます。
深谷市上手計 二柱神社の水準点
地図:深谷
JR高崎線深谷から北西4.5キロメートルの地点、上手計(かみてばか)集落の北西にある二柱神社境内の正面参道右、本殿から南20メートルに位置します。利根川の南2キロメートルにあたります。この神社境内にはべつに三等三角点「上手計」5439−22−7101があります。
標石の大きさ一辺15センチメートルの角柱で角柱部の高さ33センチメートル、さらに荒削りの部分が地表から17センチメートル露出しています。上面は四隅が丸く切られており中央には球分体があります。南面に几号の刻印が、西面は「埼玉縣」(縦書き)、北面は「基標 No.58」と横二段書き、東面は「B.M.」と刻字されています。
深谷市南阿賀野 葦原大神社の水準点
地図:深谷
深谷市の血洗島交差点から北西500メートル、南阿賀野集落の葦原大神社、本殿前西側に標石が見られます。上手計の二柱神社の真西にあたります。
標石の大きさは一辺15センチメートルの角柱で地上高は28センチメートルです。上面の球分体は直径3センチメートルあります。南面は几号が刻印され、東面は「B.M.」、北面は「基標 No.61」、西面は「埼玉縣」の刻字があります。几号の大きさは横棒9、縦棒12.5、横棒中央までの地上高さは17センチメートルになっています。
深谷市町田 八幡宮の水準点
地図:深谷
JR深谷の北西5キロメートルの地点で町田集落の八幡宮の境内、本殿北東に見られます。埼玉産直センターが目標になります。
標石の大きさは一辺15センチメートルの角柱で地上高さは8センチメートルで刻字などが読めません。氏子さん二人に手伝ってもらい、すこし掘ってみると東面は「BM」、南面は几号の刻印、西面は「埼」、北面は「基標 No.63」と刻字されています。
氏子さんは、はじめて刻字のあることを知られたようで昭和初期の耕地整理でつかったのではとの話でした。
本庄市小和瀬 稲荷神社の水準点
地図:本庄
JR高崎線本庄から東4.5キロメートルの地点、小和瀬(こわぜ)集落の東にある稲荷神社境内の神楽殿の北に位置します。利根川の南1キロメートルにあたります。この神社境内にはべつに三等三角点「小和瀬」5439−21−8801があります。
標石の大きさは一辺15センチメートルの角柱で地上高22センチメートルあり上面は四隅が丸く切られており中央には球分体があります。東面は几号が刻印され「不」の字の横棒は9センチメートル、縦棒は12センチメートルあり明治中期に設置された東京などの几号水準点よりも、ひとまわり大きい刻字になっています。南面は「埼玉」と縦書きでみられその下には「縣」もあるようでした。西面は「基標 No.65」(5は不鮮明)と横二段書きになっており北面は「B.M.」と刻字されています。
この水準点は埼玉県が利根川沿いに設置したもので上面に球分体があることから几号は単に水準点をあらわすシンボルと思われます。
本庄市小和瀬 薬師堂の水準点
地図:本庄
小和瀬の稲荷神社北西400メートルの地点に薬師堂があり、本堂裏北東角に標石が見られます。
標石の大きさは一辺14センチメートルの角柱で地上高は20センチメートルです。球分体は上面からややもりあがっている程度です。南面は「埼玉」(「縣」は埋没か)、東面は几号が刻印、北面は「B.M.」、西面は「基標」(刻字は薄い)「No.66」の刻字があります。几号の大きさは横棒8.5、縦棒11センチメートルで縦棒の下は地面すれすれになっています。
上里町忍保 池上神社の水準点
地図:伊勢崎
JR高崎線神保原(じんぼはら)北1.6キロメートルの地点にある池上神社境内で忍保(おしぼ)集会所と手水鉢の間にあります。
標石の大きさは一辺15センチメートルの角柱で地上高は16センチメートルです。東面(本殿向き)は「BM」、南面は几号の刻印、西面は「埼」、北面は「基標 No.79」と刻字されています。わたしが探訪したのは夕暮れで境内は暗く刻字など見損なったかもしれません。