明治維新後、急速に発展した鉄道建設は工部省の所管でした。1870年(明治3)新橋・横浜間で建設が着手、工部省鉄道寮お雇いの英国人エドモンド・モレル(Edmund Morell 1841〜1871)ほか外国人の指導のもとにまず測量が行われ1872年(明治5)に開通しました。(当初は品川・横浜間)その後、阪神、北海道方面など全国で鉄道が敷設されましたが1871年(明治4)に設置された工部省測量司は技術力が未熟なため測量は、お雇い外国人に依存したり、のちに発足した内務省地理寮にも依頼されました。
鉄道史跡
地図:東京南部、横浜東部
JR新橋駅の南東200メートルに旧新橋停車場跡があります。1991年(平成3)汐留地区の再開発にともない停車場の遺構が発掘され国の史跡に指定されています。プラットホームや線路の一部とともに1870年(明治3)4月25日の測量第一杭が鉄道開通時の新橋側起点となり「0哩(ゼロマイル)標識」として復元され隣接して鉄道歴史展示室もあります。
横浜のJR桜木町駅から高架線路に沿って関内方面へ100メートルほどにある歩道橋と地下道の近傍に鉄道発祥記念碑があります。鉄道開業の頃のレールを柱にしたもので1967年(昭和42)に横浜市観光協会により設置されました。桜木町駅改札口前には「建築師長」エドモンド・モレルの肖像銅板があります。
横浜山手の外国人墓地には鉄道建設に尽力され日本で亡くなったお雇い外国人が葬られています。このうち「建築副役」であったジョン・ダイアックは墓地入口にむかって左にあり外からでも見えます。ホートン、キングストン、モレル、イングランドの墓は入口にむかって右奥にあります。いずれも鉄道記念物または準鉄道記念物になっています。ジョン・イングランド(John England)の墓地には1870年(明治3)モレルの下で新橋・横浜間の測量、翌年には大阪・神戸間の測量に従事と説明板にありました。[鐵道省:日本鐵道史 上篇 1921 p47][日本国有鉄道:日本国有鉄道百年史 通史 1974 p20]
JR東京駅起点標
地図:東京首部
鉄道線路の起点から一定の距離ごとに設置される距離標があります。1キロメートル、500メートル、100メートル間隔のものがあり原則として下り列車の進行方向左側の線路敷きに設置されます。
JR東京駅東北新幹線22、23番線ホームと同上越新幹線20、21番線ホームにある起点標はいずれも同じデザインで「0Km POINT」の表示があります。写真上は上越新幹線の方です。1982年(昭和57)に東北新幹線は大宮・盛岡間で、上越新幹線は大宮・新潟間で開業しましたが1985年(昭和60)に上野まで、1991年(平成3)には東京まで延伸されました。
東海道新幹線の起点標は16、17番線と18、19番線ホーム8号車附近にあります。東海道新幹線は東京・新大阪間が1964年(昭和39)に完成しました。
東京駅にはこのほか各線ごとにホームから見える線路敷きに多数の起点標があります。東海道本線は7番線ホームから、中央本線は1番線ホームから見えます。
京阪電鉄の基準点
地図:京都東北部
京阪電鉄出町柳駅のプラットフォーム上にある基準点です。直径5センチメートルの金属標で「京阪基準点 H13−3」と刻字されています。100メートルほど離れた位置に「H13−2」というのもあり、ともに文字は北の方が上を向いており線路とは直角です。京阪電鉄は大阪天満橋の本社を原点とした独自の座標系で二百五十分の一の地図をつくっていますが出町柳駅のような要所には基準点が設置されています。方位を明らかにするため2個で一対になっています。
南海電鉄の基準点
地図:堺
南海電鉄堺東の1番ホーム、南階段近くでみました。「No.56 + 南海基準点」と刻字のある金属標です。どの電鉄会社もこのような基準点を独自で設置しているようです。