森林測量

森林測量は森林の境界線を確定したり面積を求めるための測量ですが広義では砂防や木材運搬のための地形測量、林道、森林鉄道のための測量も含まれます。


山林局と御料局の三角点

江戸時代以前に藩有の山林は御林山や御山と呼ばれていましたが明治政府がとりあげ官民有の区分を1874年(明治7)に開始しました。官林(政府直轄)・官有地(県庁所管)を定め、また一部は慣行の入会権が認められ地元の共有林や私有林として払い下げられました。その所管は民部省、大蔵省をへて内務省地理局山林課があたり1879年(明治12)に同省山林局になりましたが1881年(明治14)に農商務省が発足し林野行政は境界査定の測量を含め同省山林局に移管されました。1886年(明治19)には林区署官制が制定され大林区署、小林区署が設置され境界調査などが行なわれました。

ついで1897年(明治30)には森林法が1899年(明治32)には国有林野法などが制定され林政の基本が整備されました。明治初期の土地官民所有区分で決定された国有林は県庁所管も統合して政府が所管することになり国有林野の境界確定、面積測量、施業案の編成、さらには不要存置林野の売払も行われ政府の財源となる国有林経営の基礎ができました。

山林局の測量は陸地測量部と並行して実施されていましたが1900年(明治33)には国有林野測量規程(農商務省訓令 第三十三號)が制定され三角測量や三角点の規格も定められました。要存置林の実測は三角測量と周囲測量が行われ1901年(明治34)から1910年(明治43)までに大半を終了しています。農商務省には測量技術者が不足しており当初は陸地測量部の応援を得ました。当時設置された三角点は「主三角点」「次三角点」「補点」の3種類があります。当時の標石は現在でも北アルプスや東北地方にも残置されてます。山林局の三角点は後年、陸地測量部の三角点に替わったものもありますが共存していた事例もあります。[農商務省山林局:山林局報 第二號附録 國有林野測量規程、國有林野測量内規 1901 p8 国立国会図書館蔵][松波秀實:明治林業史要 大日本山林會 1919 p704][松波秀實:明治林業史要 後輯 大日本山林會 1924 復刻版 原書房 1990の巻末、島田錦蔵による解題]

その頂には近頃三角櫓立てりと、なお至仏にも昨年の頃設けられ、燧ヶ岳には陸地測量部のと農商務省の二つありという。 [武田久吉:尾瀬紀行 山岳第一年第一号 日本山岳会 1905(近藤信行:山の旅 明治・大正篇 岩波文庫 2003 で採録 p143)]

農商務省山林局が国有林の三角測量に着手したのは1898年(明治31)頃、栃木県足尾国有林からで、この時期、陸地測量部では一等三角測量がほぼ終わっていましたが山岳地帯の二、三等測量は実施中であり山林局はその成果が利用できないこともあり独自に三角点を設置して測量した場合がありました。したがって同一場所に陸地測量部と山林局の両方の三角点があれば山林局の方が先行して設置したものと考えられます。農商務省は第二次大戦中に農商省(「務」の字なし)、戦後は農林省になり現在、国有林は農林水産省の外局として林野庁森林管理局の所管になっています。

また、かつて幕府の領地は御料地、皇室の領地は禁裏御料所などと呼ばれていましたが1885年(明治18)宮内省に皇室の所有地を管理する御料局がおかれ皇室の領地は御料地と公称され1889年(明治22)からは官林の一部が御料林として編入されることになりました。御料地には皇宮など皇室が直接所要する第一類御料地と皇室の財源となる収益事業用の第二類御料地があり御料林は後者に属します。また当時の御料地のうち約半分の101万町歩を「世傳御料地」と定め皇室の世襲財産になりました。御料林の大部分は1889〜90年(明治22、23)に官林を移管されたものでしたが、境界や面積が不正確であったため御料地の事業計画に先立ち境界を査定し測量により面積の確定を行いました。初期の測量は困難を極め測量作業に従事中、絶壁から墜落死亡された殉職者も少なくありません。[農林大臣官房総務課:農林行政史 第五巻下 農林協会 1963 p1179][帝室林野局:帝室林野局五十年史 1939 p231][松波秀實:明治林業史要 大日本山林會 1919 p119]

御料地は近傍にある陸地測量部の一、二等三角点を基準とした三角測量により境界測量の基点を設定することが多かったのですが御料地内に陸地測量部の三角点が既存する場合は、その成果(経緯度)と距離によって基点を定めました。御料局の標石は1894年(明治27)に定められた御料地測量規程(御料局長達第一二一七號)で寸法、形状が決まっています。三角点は一辺が12〜15センチメートル、高さ約75センチメートルの角柱で上面は隅切り、×の刻印があり5分の4を地下に埋めます。標石にかえ地中標や自然石を使用する場合もありました。「本點」(二、三等)のほかに「副點」(四等)があり標石の場合「御料局三角點」の刻字があります。三角点が不足する場合には「補点」を設けました。また三角測量によらず多角測量による「細形測量」の場合は「御料局測點」の刻字があります。御料局三角点には規程で定まっていないケースも多く形状もいろいろあり、また刻字も表に「御料局」裏に「三角點」とあるものや字体が異なるもの、上面の×印が+印などあります。[御料局:御料地測量規程 第一二一七號 1894 p3、第壹圖式 大阪市立中央図書館蔵]

このほか宮三角點という刻字のある標石があります。「宮」のウ冠は広く丸みを帯びており宮内省を意味します。御料局が1908年(明治41)に帝室林野管理局と改称され、この機会に「御料局三角點」から「宮三角點」に変更されたました。境界標石にも「宮」が刻印されたものがありますが、これは「宮三角點」よりも以前からつかわれています。[御料局:御料地三角點石標ヘ彫刻スル文字ノ件 第一二一九號 長官ヘ伺定 1909(帝室林野局:帝室林野局制規集 1933 p339)]

御料局は1908年(明治41)に帝室林野管理局に、さらに1924年(大正13)帝室林野局に改称されました。1947年(昭和22)には御料林は農林省山林局に、さらに同林野局に移管され現在は国有林として林野庁森林管理局の所管になっています。御料局の三角点は現在も長野県の八ヶ岳周辺をはじめ、岐阜、新潟、神奈川、栃木などに残置されています。上條武著「孤高の道しるべ」には1891年(明治24)に就任した初代御料局測量課長の神足勝記(こうたり・かつき 1854〜1937)の業績とともに御料地、御料林の成立について記述されています。[上條武:孤高の道しるべ 銀河書房 1983 p528]

山林局次三角點 筑波山

地図:筑波

茨城県筑波山の男体山南西稜は現在、森林管理局の赤くスプレー塗装された境界標が多数設置されています。境界標は自然石に×刻印と数字など刻字をしたものが多いのですが、このなかに「次三角點」と「補點」があります。

男体山の山頂近くには自然研究路といわれる遊歩道がありますが、その道に面した東屋の下の大岩から尾根を下へ徒歩10分程度のところに「次三角點」があります。麓の梅園からと林道最高所からの登山道が出会う少し上にあたります。

一辺13.5センチメートル、地上高さ20センチメートルの角柱で丸みを帯びた上面には一画6センチメートルの+印があります。南面には「次三角點」(「角」は「々」の下に「用」)、北面は「山」の刻字があります。

この標石の傍には東京営林局境界見出標の色あせたプラスチック板が落ちていました。このあたりは岩と潅木の明るい尾根で多数のカタクリが満開でした。

山林局補點 筑波山

地図:筑波

筑波山の麓には筑波神社の大鳥居から梅園をへて酒寄集落に抜ける舗装林道がありますが、その最高所から男体山南西稜に入り50メートルほどのところ、登山道の面して北側に「補點」があります。

一辺13.5センチメートル、地上高さ19センチメートルの角柱で上面(丸みなし)には一画5センチメートルの+印があります。南面には「補點」、北面は「山」の刻字があります。

この標石の傍には東京営林局境界見出標の色あせたプラスチック板が潅木に打ちつけられていました。

山林局主三角點 小遠見山

地図:神城

遠見尾根の中ほど小遠見山(標高2007メートル)にあり、白馬五竜スキー場の上部にあたります。この位置からは後立山連山がすべて見渡すことができる展望台になっています。

上面は一辺13.5センチメートル、角柱整形部の高さ30センチメートル、地上高48センチメートルで+刻印のある上面は四隅が面取りされ、まるみを帯びています。刻字は北東面に「主三角點」とあり南西面は「山」とかろうじて読取れました。

山林局主三角點 黒部五郎岳

地図:三俣蓮華岳

黒部川の源流、黒部五郎岳の頂上近くにあります。現行の国土地理院三等三角点「黒部」5437−44−6301(標高2839.6メートル)の北60メートルの尾根に位置しています。上面は一辺14センチメートル角柱上部(刻字部)の高さ22センチメートル、地上高40センチメートルで+刻印のある上面は四隅が面取りされ、まるみを帯びています。刻字は南面に「主三角點」とあり他面は読取れませんでした。

探訪した当日は正面に笠ヶ岳、槍ヶ岳はじめ穂高の山稜など見渡すことができました。黒部五郎岳の北はカール(渓谷)になっておりお花畑や雪渓があります。

山林局主三角點 三俣蓮華岳

地図:三俣蓮華岳

これも黒部川の源流、富山、岐阜、長野の三県境にあります。現行の国土地理院三等三角点「三ツ又」5437−44−6701(標高2841.2メートル)の南に隣接しています。上面は一辺15センチメートル角柱上部(刻字部)の高さ22センチメートル、地上高30センチメートルで+刻印のある上面は四隅が面取りされ、まるみを帯びています。刻字は南面に「主三角點」、北面に「山」とありました。写真の背景は手前の平らなところが雲ノ平、奥が薬師岳2926.0メートルです。

後日、この写真をご覧になった川崎市のNさんから1998年(平成10)当時の三角点付近の写真をみせていただきましたが「主三角點」は現位置になく、すぐそばに倒置されているようでした。近年、誰かが再埋設したようです。

山林局主三角點 爺ヶ岳南峰

地図:神城

長野、富山の県境、後立山の一峰で種池小屋から約1時間の行程です。上面は一辺15センチメートル、角柱上部(刻字部)の高さ22センチメートル、地上高70センチメートルで一画5センチメートルの+刻印のある上面は四隅が面取りされ、まるみを帯びています。刻字は南面に「主三角點」、北面に「山」とありました。またこの標石の西1メートルのところに一辺32センチメートル角の盤石が露出しており中央には一画5センチメートルの+刻印が見られました。

山林局主三角點 大日ヶ岳いっぷく平

地図:二ノ峰

岐阜県高鷲村のひるがの高原から白山山系最南端の大日ヶ岳へむかう登山道を徒歩1時間半で到達できます。荘川村と高鷲村(たかすむら)の境にあたり大日ヶ岳東稜線上の「いっぷく平」という広葉樹の大木に囲まれた広場の手前で現行の三等三角点「鎌ヶ洞」5436−06−1901(標高1356.3メートル)に隣接してあります。

農商務省の主三角点標石は根元から露出し倒壊していましたが形状や刻字は傷んでいません。一辺17センチメートル角柱上部の高さ22センチメートルで一辺4センチメートルの+刻印のある上面は四隅が面取りで、まるみを帯びています。刻字は前面は「主三角點」裏面は「山」とありました。写真は倒れた標石を起こして自立させた状態で撮影しました。

この位置から大日ヶ岳1709メートルまでの尾根筋には上面×印、側面「山」と刻字のある境界杭が多数みられました。

山林局次三角點 八方尾根

地図:白馬町

この三角点は八方尾根の中腹にありリフトの終点、八方池山荘から40分程度で到達できます。八方山の方から稜線をたどり八方池の手前で池の方と尾根の方へ道が分かれますが尾根の道にそって分岐点のすぐそばにあります。

一辺15センチメートル角柱上部の高さ23センチメートル、地上高50センチメートルで一辺5センチメートルの+刻印のある上面は四隅が面取りで、まるみを帯びています。刻字は南面(山側)は「次三角點」北面(里側)は「山」とありました。

農商務省山林局の次三角點は主三角點にくらべて存在している情報が少ないようです。東北地方にもあるそうですがまだ確認しておりません。

この次三角點より25メートルほど下(北)の八方池への分岐点にはべつの角柱標石があります。一辺12センチメートル、地上高45センチメートルの荒削り花崗岩で上面には+が刻印されていますが刻字はありません。次三角點との関係は不明です。

探訪した当日は五竜岳、白馬岳の山頂はガス、不帰嶮は合間に望むことができました。

御料局 大崎市石幌山

地図:鹿島台

大崎市小牛田(こごた)の南西10キロメートルの石幌山にあります。この位置には現行の四等三角点「貝抜沢」5741−50−8201と「明治26年」の刻字がある宮城県の標石が併設されています。

一辺12.7センチメートルで地上高さは16センチメートルで上面は一画6センチメートルの×印があり角切があります。刻字は南面が「御料局三角點」、北面が「二等」です。

明治後期に参謀本部二、三等三角点が設置される前に既設の参謀本部一等三角点を基準とした三角測量にもとづき設置された御料局の三角点と思われます。

1939年(昭和14)刊の帝室林野局五十年史には宮城県には御料地がないことになっています。また近くに界標が見当たらないことから、もともとこのあたりは御料林ではなく明治後期の一時期にあった近傍の御料地を測量するため設置されたのではないかと考えられます。[帝室林野局:帝室林野局五十年史 1939]

御料局 栃木県塩原

地図:塩原

塩原のビジターセンターから南の山に遊歩道があり、その途中から尾根筋を登ると国土地理院の三等三角点「塩ノ湯」5539−36−4701のすぐ手前に見られます。この地点まで徒歩約40分を要します。

標石は一辺12.5、整形部高さ20、全体の地上高さ45センチメートルの角柱で上面に×が刻印されており刻字は北面だけで「御料局三角點」とあります。標石の岩質は軽石のように多孔質のものです。

塩原の旧御料林は1891年(明治24)に旧宮内省の所管になり「塩原第二御料地」として発足したものです。現在は林野庁塩那森林管理署の所管になっています。

御料局 栃木県塩原 (測点)

地図:塩原

塩原の御料局三角点を過ぎてさらに南のピークを登ったところにあります。一辺12.5、整形部高さ20、全体の地上高さ26センチメートルの角柱で上面に×が刻印されています。刻字は南面だけで「御料局測点」とあります。御料局の「料」の字体は三角点標石では米へんに升と書かれていることが多いのですが、この標石は普通の「料」で、また「点」も「點」にはなっていません。この岩質も多孔質です。

「御料局測点」の「測点」は御料地測量規程、第二十七條(明治27年)に定めてあるとおり三角測量によらず多角測量で用いられたものと思われます。

御料局 栃木県唐沢山 神社寄り

地図:田沼

唐沢山は栃木県南部の佐野市と田沼町の境界にあり山頂は城跡になっていますが藤原秀郷 (ひでさと 生没年不明)を祀った唐沢山神社があります。このあたりは1887年(明治20)に唐沢山御料地として編入され唐沢山神社に管理委託されていました。[農林大臣官房総務課:農林行政史 第五巻下 農林協会 1963]

神社の駐車場から車道を越え、尾根筋入り口を南へ約300メートルの地点に御料局三角點の標石があります。標石は一辺12センチメートル、地上高14センチメートルの角柱で上面の角は隅切りがあり丸みを帯びており×印は南北、東西に向いています。側面の北東面には「御料局」「三角點」と、たて2行に刻字があります。他の面にはなにもありません。他所でみられる御料局三角點には等級などの刻字がありますがこれは無等級です。

御料局 栃木県唐沢山 221標高点

地図:田沼

唐沢山神社寄りの御料局三角點から南下すると尾根筋入り口から約500メートル地点とさらに尾根筋入り口から約550メートル地点に「宮」の字をまるくデザイン化した刻印のある宮内省の境界標石があります。「宮」のマークの裏側面には「界町田」(判読できない字もあり)と刻字があります。いずれも一辺12センチメートル、地上高17センチメートルの角柱です。さらに地形図では221メートルの標高点あたりに、もうひとつ御料局三角點が見られます。標石は一辺15センチメートル、地上高18センチメートルの角柱で刻字は神社寄りの標石と同じく無等級です。

御料局 東京高尾山

地図:与瀬

東京八王寺市の高尾山は都内から交通の便もよくハイキング道も整備され東海自然歩道の起点にもなっています。ケーブルの山頂駅から高尾山の山頂の方へ向かうと約15分で薬王院に到着します。急な石段を登り本堂、本社、飯縄権現堂をへて奥之院不動堂に10分で達せられます。そこからさらに西へ向かい尾根筋の木立のなかをハイキング道がつづいていますが、不動堂すぐ上の木道の北側、モミの大木の下に御料局三角点が見られます。この位置から不動堂の屋根が見えます。わたしが現地で探索した当日は霧雨で木立は煙っていました。

一辺12センチメートル角、地上高さ42、うち整形部分25センチメートルの角柱ですが刻字、刻印に特徴があります。まず上面は×ではなく一画5〜6センチメートルの+が中央に彫られています。南面は「御料局 三角點」の刻字ですが「角」の字は「々」のい下が「用」のように下に突き抜けた字体になっています。北面は本来、等級が刻字されますが、この標石は「宮」をデザイン化したマークが刻印されています。

この三角点は現在も使用され森林管理局の「第3次国有林野施業実施計画図」によれば点名は「坊ヶ谷戸」になっています。等級のないことから境界確定の測量の際、近傍の参謀本部の三角点の補助として設置されたものと思われます。この標石の情報は東京のTさんにご教示いただきました。高尾山から北の相模湖町方面は旧御料林で三角点や界標が多く残存しているようです。

御料局 津久井湖城山

地図:上溝

神奈川県津久井湖の南にある標高375メートルの城山の稜線上にあります。麓の根本地区にあるパークセンターから城山山頂南東の飯縄神社を経て鷹射場まで約40分、ここから北東稜線を5分たらず下ったところに御料局界標数箇所とともに三角点が見られます。

標石は一辺12センチメートル、地上高さ20センチメートルの角柱で上面には一画9センチメートルの×印が中央に刻印されています。標石東面は「御料局」、西面は「三角点」(「角」は「々」の下に「用」)の刻字があります。そのほかの面には等級などは見当たりません。現在も使用されているようで赤いスプレー塗装がされており刻字が見難くなっていました。点名は「城山」になっています。

御料局 湯河原

地図:熱海

湯河原の西にある丘陵地帯の国有林にありますが、かつては御料林でした。湯河原温泉のアラスケ沢林道をゲートから徒歩50分、いったん沢に下りて北の尾根に登ります。林道からの下降点から20分で到達できます。四等三角点「竹ノ沢」5239−50−7401の北西250メートル、植林された尾根の中間に位置します。

東西の幅1.5メートル程度の不定形な岩石で上面は斜め折れ曲がった三角形になっており頂点に一画10センチメートルの+印とその下10センチメートルのところから北面にかけ長さ26、幅7センチメートルの範囲に「三角点」(「角」は「々」に「用」)の刻字があります。東京神奈川森林管理署の図面によればこの三角点は図根点として載っており点名は「高森」になっていました。設置時期は不明ですが近傍に宮マークの界標があることから御料局の三角点であったと思われます。

右上の写真は案内いただいたTさんが他日、標石の南(左が西)から撮影されたものです。右下はわたしが北(左が東)から撮影しました。

御料局 天城山

地図:天城山

伊豆の天城山は万三郎岳や万二郎岳などの連山ですが万三郎岳には現行の国土地理院所管、一等三角点があります。伊東市の南西にある天城高原ゴルフ場の入口手前が東の登山口になっており万三郎岳の方へ向かって1時間程度登ると最初のピークである万二郎岳の山頂に達せられます。山頂は雑木に囲まれあまりよくありませんが万三郎岳を望むことができます。

この山頂に御料局の測量標石があります。一辺12センチメートル、整形部分の高さ23、荒削り部分42センチメートルの角柱が全部露出しています。上面は対角線が彫られ側面は「御料局」、「測點」と縦2行で、その裏面は「第八號」と刻字があります。横倒しになっていたのを立てかけて写真を撮ったので元位置ではありません。

「御料局測點」と刻字のあることから御料地測量規程、第二十七條(明治27年)に定めてあるとおり三角測量によらず多角測量で用いられたものと思われます。

御料局 荒川前岳

地図:赤石岳

荒川三山のうち前岳山頂で見つけました。前岳山頂は荒川岳から赤石岳への縦走路から僅か離れたところで標高3068メートルです。この山頂の表示杭の西側に標石がありますが、すぐ下が大崩落を起こしており危険な場所です。刻字は南面に「四等」、北面はかなり磨耗していましたが「御料局 三角點」と辛うじて読めます。寸法は危険なため測れなかったのですが四隅が面取りされていることや上面の×刻印などは御料局の標準タイプです。

加藤文太郎の著作「單獨行」にもこの三角点が登場します。いまから80年前の記録になります。

國境線へ出で縦走して御料局三角點のある前岳へ登る。もう霧は晴れて富士山をも見る事が出來、眺望雄大... [加藤文太郎:單獨行 朋文堂 1941 p217 南アルプスをゆく1927年7月の記録]

御料局 塩見岳

地図:塩見岳

塩見岳山頂にありこの位置から南アルプス全域を望むことができます。国土地理院所管の二等三角点「塩見山」5338−21−8401の西10メートルの地点で見かけました。一辺12センチメートルで上面に×印と隅きりがあり南面は「御料局 三角點」、北面は「四等」の刻字がある典型的な御料局三角点です。

国土地理院の三角点は1902年(明治35)に埋標されましたが御料局三角点は、この前年に設置されています。初期の点の記には「御料局所轄地土地ニテ通称塩見山ト云ヘリ(御料局四等点旁ニ在リ仝点名ヲ用ユ)」とあります。[山崎安治:新稿 日本登山史 白水社 1986 p237、243]

御料局 八子ヶ峰南

地図:蓼科

蓼科高原から白樺湖へ向かう途中にスズラン峠があります。この峠の手前の登山口から蓼科山と八子ヶ峰(やしがみね)が登れますが、西の八子ヶ峰方面へ入り15分ほど登ると主稜線に出ます。快適なハイキング道を蓼科湖に向かい南へ700mの地点で東急リゾートへの分かれ道があり開けた広場になっています。ここから南東方向に御料局三角点の標石が見えます。三等三角点「凧落」(たこうち)5438−02−9201、標高1810.9メートルに隣接しています。

御料局三角点は一辺12センチメートルの角柱、地上高さは全高60、うち整形部16センチメートルですこし傾いて立っています。上面は隅切りがされ四隅が丸くなっており中央に一画5.5センチメートルの×印が刻印されています。東面は「御料局 三角點」、西面は「三等」の刻字があります。

御料局 阿弥陀岳

地図:八ヶ岳西部

阿弥陀岳は八ヶ岳最高峰である赤岳の西1キロメートルのところにあります。麓の行者小屋から尾根筋まで1時間さらに急峻な岩山をよじ登ること30分で到達できます。頂上からは東に赤岳、南に権現岳、編笠山、遠くには日本アルプスのほとんどの山々が望めます。阿弥陀岳といわれるだけに宗教的な石碑や記念碑などが林立していますが国土地理院の三角点はありません。御料局の三角点は現在でもつかわれているようで赤く塗装されているのですぐにわかります。

一辺が約15センチメートルの角柱で地上50センチメートルほど露出しています。上面は隅切りがされ四隅が丸くなっており一辺4.5センチメートルの×が刻印されています。東面には「御料局 三角點」と縦書き2行に、西面は「四等」と縦書きで刻字されています。

赤岳の方は一等三角点の記によれば1894年(明治27)の選点で所有主の明細の欄には御料局所有地と記載があり、この一帯は御料地であったことが裏付けられます。赤岳頂上小屋の前にも御料局の三角点ではなく境界標石と思われるものがありましたが早朝で薄暗いのと先を急いでいたため写真は撮っていません。

御料局 硫黄岳

地図:八ヶ岳西部

八ヶ岳連山のひとつ硫黄岳にあります。硫黄岳には国土地理院の現行の三等三角点「箕冠」(みかむり)5338−72−9901(標高2741.7メートル)がありますが山頂から500メートル下ったところです。一方、御料局の三角点は、これも山頂ではなく山頂標識からすこし下がった避難小屋近くで赤岳鉱泉への降り口にあります。

標石は塗装がされてなく近年つかわれた様子はありません。形状、寸法は阿弥陀岳のものと同じです。地上高が72センチメートルあり標柱はほぼ全部露出しています。標石の北面には「御料局 三角點」と縦書き2行に南面は「三等」と縦書きで刻字されています。この位置からは阿弥陀岳、赤岳、横岳、硫黄岳に囲まれたすり鉢状の地形が望めます。

御料局 茶臼山

地図:蓼科

北八ヶ岳の縞枯山と麦草峠間の茶臼山にあります。縦走路には茶臼山の山頂を示す標識があり、そばには御料局の境界標石もありますがこの三角点は山頂から東へ樹林の中を5分、100メートルほど入った標高点2384メートルの岩場にあります。

一辺が約12センチメートル、高さ14センチメートルの角柱で荒削りの下部も含め地上高さ25センチメートルほどあります。上面は隅切りがされ四隅が丸くなっています。南面には「御料局 三角點」と縦書き2行に、北面は「四等」と縦書きで刻字されています。

茶臼山や硫黄岳の御料局三角点は1903年(明治36)に陸地測量部の一等三角点「赤岳」を「縦横距原点」にして八ヶ岳一帯の測量に使用されました。

御料局 双子山

地図:蓼科山

双子山は八ヶ岳連山の最北端にあたります。近くの大河原峠まで車がはいれるので20分程度で簡単に登ることができます。山頂には国土地理院の現行の三等三角点「麦原」5438−12−2601(標高2223.8メートル)がありますが、ここから広い草原を南東へ150メートルにある道標のところに御料局の三角点があります。標石の東面には「御料局 三角點」と縦書き2行に西面は「四等」と縦書きで刻字されており赤く塗装されていますが長年の風雪で、はく離し柱石も傾いています。

山口耀久(やまぐち・あきひさ)さんの名著「北八ッ彷徨 雪と風の日記」にもこの三角点が現れます。

大河原峠出発、九時二五分。双子山の斜面は荒れ狂う風に翻弄されて息もつけない登りだった。風によりかかったまま御料局の四等三角点を踏んだ。 [山口耀久:北八ッ彷徨 創文社 1961 p21]

この文は「アルプ」第1号(1958)に初出されたもので1957年12月30日の記録と推察されます。荒れ狂う風のところは平凡社2001年版では吹きすさぶ風と推敲されています。[山口耀久:定本 北八ッ彷徨 平凡社 2001 p21]

御料局 新城市棚山

地図:海老

愛知県東端近くの鳳来寺山から宇連山(うれやま)への稜線中間に棚山高原があります。高原の北東端で主稜線上にある巨岩がこの三角点の位置です。棚山高原の西にあたる川売(かおれ)集落から林道が稜線近くまであり林道の一般車通行止めのゲートから1時間たらずで到達することができます。1月の終わりに名古屋のYさん、ほか地元山岳会の皆さんに案内していただきました。同行いただいた皆さまには厚くお礼申し上げます。かねて話には聞いていましたが実物を見て驚嘆しました。

尾根筋からの高さ6メートルほどの巨岩の前には森林管理局の標杭があり「境界見出標 この岩の頂上 界八四支一五」とあります。攀じ登った巨岩の上部には、なんと御料局の三角点が刻字されているのです。東西方向に幅13〜16センチメートル、全長93センチメートル程度わずかに削られた平面に一辺5.5センチメートルの「+」刻印を中心にして西側(尾根筋側)には22センチメートルの長さで「補點」が刻字され、東側(谷側)には27センチメートルの長さで+印を頭にして「御料局 三角點」がたて2行に刻字されています。丁度、柱石を上面の+(×ではない)を中心に東西方向の平面に展開した珍奇なスタイルになっていますが測量官の奇想天外なアイデアによるものか石工(いしく)の遊び心によるものかはわかりません。いずれにしても、ただものの仕業ではないと思われます。

この巨岩の東側(谷側)に回り込むことができますが、わずかなステップがあるのみで急峻な絶壁になっています。「御料局 三角點」の文字は谷側から、かなり危険を冒して彫刻したようです。この岩から東方面は開けており奥三河の山々の絶景を望むことができます。巨岩の下部には現行の境界見出標があるので、この三角点は現在も境界標石として使われています。近くの稜線には見通しのきく間隔で新旧の境界標石やコンクリート杭が多数見られました。その後の調査でつぎのことが判りました。

この三角点は北設楽郡棚山御料地の三角測量のため1901年(明治34)年6月1日から8月6日の間に使用されたものでその成果は引き続き行われた御料地の境界確定に利用されました。巨岩に刻印された時期について記録はありませんが1901年(明治34)と思われます。

当時、御料林の境界測量が急がれていた時期で各地で御料局独自の三角点も設置されたようですが棚山の場合、陸地測量部が設置した宇連山などの近傍の三角点を利用し、さらにこれを補うために御料局が補点を設置し三角測量により正確にその位置を求めました。

棚山の御料局三角点補点は点名を「大嶋」といいます。「大嶋」から陸地測量部の「宇礼山」(当時は宇連山でなくそのように書きました)、「名号村」、「豊岡村」の三地点を視準し測角が行われました。補点の設置は御料局の近藤義従技手、測量者は上田辰三郎技手となっています。測量機器はドイツ製三等経緯儀(カールバンベルヒ社)が使われました。

「大嶋」の位置が決定されると、あとは境界測量に移るわけですが一般的に境界測量では三角測量はしないで多角測量がされます。つぎの点までの角度と距離を折れ線に沿って測るもので伊能忠敬もこの方法を用いました。これで棚山御料地の外周は確定したわけです。

以上は御料局の「三河國北設楽郡御料地三角測量簿」などにもとづく情報ですが、わたしが理解し損なっているかもしれません。そのなかの「三角測角手簿」の「大嶋」には「本局三角点補点固着大岩石上ニ十字形ヲ彫ス」とはっきり記載があります。この三角点は本来の位置を測量するという三角点としての役目は終わりましたが現在でも境界標として使用されています。現在の森林管理局の台帳には点名「大島」、種類は「天然岩石標」になっており国有林野施業実施計画図(二万分の一)にも掲載されていることがわかりました。

御料局当時の測量成果などの資料については国土地理院のような閲覧、謄本請求をすることが難しいようです。また「点の記」も補点については、もともと作成されないので「大嶋」の分はありません。今回の調査では中部森林管理局には、たいへん懇切に対応いただき感謝しております。

御料局 瀬戸市定光寺

地図:高蔵寺

JR中央線定光寺の東2.5キロメートルあたりの東海自然歩道の際にあります。定光寺ゴルフ場の南にある集落から南東へ林道を入り神明神社入口を過ぎ宮刈沢に沿って宮刈池をへて20分程度で宮刈峠に到達します。この峠から北へ登り2基目の送電鉄塔(中部電力瀬戸笠原線41号)の下、歩道ぎわに休憩ベンチが見られます。三角点はこの位置にある防火用水溜から南東20メートル、マツの下にありますが枯れ木や落ち葉に覆われており見つけるのは困難でしょう。あたりは雑木林ですが、ほぼ平面でピークがありません。

標石は一辺12.5センチメートル、地上高5センチメートルの花崗岩で上面の角は隅切りがあり丸みを帯びており×印は南北、東西に向いて一画4.5センチメートルあります。側面をすこし掘って調べると南西面には「御料局 三角點」、北東面は「三角補點」の刻字があり、上面の×印は一画4.5センチメートルあります。

三角点のマツや雑木で囲まれ見通しは得られません。この三角点は森林管理局の台帳では瀬戸国有林にあり点名は「西山田」で国有林の境界標石として現在も使われているようです。「三角補點」の刻字例は稀です。

名刹、定光寺はJR駅から徒歩15分程度で臨済宗妙心寺派の寺院ですが尾張徳川家の菩提寺になっており江戸時代初期に帰化中国人によって建てられた御廟があります。

御料局 名古屋市植田山

地図:名古屋南部

名古屋、東山動植物公園すぐ南の植田山あります。同園の上池門から南へ高速道路をくぐり「植田山駐車場」の東端から尾根を登るとすぐに図根点が見つかります。国土地理院の所管ですが地理調査所時代に設置されたものです。この位置から北西へ5分たらずの、なだらかなピークに御料局三角点があります。標石の大きさは一辺12.5、地上高さ15センチメートルの角柱で上面は隅切りがされ四隅が丸くなっており対角線全面に×が刻印されています。南面は「御料局 三角點」とありますが「角」の字の中棒が突抜けて「々」の下に「用」といった字体になっています。

標石の周囲は潅木で展望は得られません。またこの御料局三角点標石の西2メートルに一辺9、地上高さ6センチメートルの標石があり上面には斜めに「TP」の刻字がありました。

御料局 名古屋市神の倉

地図:平針

地下鉄鶴舞線平針の南2.5キロメートルに位置する小丘陵にあります。運転免許試験場のすぐ南にあたります。この丘の南に平針熊野神社があり本殿北から尾根伝いに「毘沙門天裏参道」がついています。10分程度で御料局三角点に到達できますが、この尾根筋には40〜60メートル間隔で正体不明の境界標石が多数あります。

三角点標石の大きさは一辺14、地上高さ8センチメートルの角柱です。上面は隅切りがなく一画6センチメートルの+の刻印があり、×印ではありません。南面(樹林側)には「御料局 三角点」、北面(歩道側)には「補点」とそれぞれ行書体で刻字がありますが両面の「点」の字は「點」ではありません。このように他所で見られる御料局三角点とはかなり異質のものです。いつ設置されたものか不明ですが今後、類例の探索とともに調査したいと思っています。

この三角点の位置からは近傍の住宅地が望めます。またこの標石の東3メートルには中部電力のコンクリート杭があります。ケーブルの位置標示のためか黄色く塗られているので御料局三角点位置の目印になります。

御料局 犬山市桃山

地図:犬山

名鉄犬山から木曽川の上流に向かって3キロメートルの地点に栗栖という集落があり、栗栖神社の鳥居をくぐり、まっすぐ進むと桃山遊歩道に入ります。15分程度で桃山山頂に到達できますが、この間に御料局の境界標石(界標といいます)が2点あり麓の方は「界二四〇支」、その上の方は「界二四一」の刻字があり、いずれも宮印が刻印されています。山頂の御料局三角点標石は一辺15、地上高さ30センチメートルで上面は隅切りがされ四隅が丸くなっており一画4センチメートルの×印があります。北面は「御料局 三角點」、南面は「補點」の刻字が見られます。

標高168メートルの桃山山頂からは日本ライン(木曽川)が望めます。栗栖集落の南には桃太郎の伝説で知られる桃太郎神社があります。神社の掲示によれば「その後の桃太郎」として「鬼退治をしたのち、ある日近くの山に登り姿が消えたがその山の形が桃のように見え村人は桃山と呼んだ」とのことです。

御料局 犬山市本宮山南

地図:小牧

犬山市の東南、本宮山の南にあたり最寄り駅は名古屋鉄道小牧線楽田(がくでん)です。地形図「小牧」北東角あたりにヒトツバタゴ(モクセイ科の喬木)自生地がありますが、その南の187標高点のところで中部電力犬山変電所の裏山にあたります。西洞池(上池)の東から中部電力の送電線巡視路にそって尾根にあがり15分程度で到達できます。

標石は一辺12センチメートル、角柱部の高さ17センチメートル、地上高30センチメートルの花崗岩で上面の角は隅切りがあり丸みを帯びており×印は南北、東西に向いています。側面の北西面には「御料局」「三角點」と、たて2行に南東面は「補點」と、たて1行の刻字があります。

御料局 大台ヶ原 三津河落山 (さんづこうちやま)

地図:大台ヶ原山

大台ケ原の山上駐車場から北へ名古屋岳、三津河落山がドライブウエイに沿ってつづいていますが、この辺りはかつて松浦武四郎が探訪したようで松浦の同行者の名前が刻られた道標がところどころに見られます。名古屋岳の山頂からそのまま北へは道がなくなるので手前60メートルほどのところで山頂を東(右)に巻きます。ドライブウエイが尾根筋に接する川上辻から50分程度で三津河落山に到達します。この山頂に御料局の測点が見られます。御料局の界標は近畿地方でも多数ありますが、わたしの探訪した御料局三角点、測点のなかでは最西端に位置します。

標石は一辺12センチメートル、角柱部の高さ15センチメートル、地上高20センチメートルの花崗岩で上面の角は隅切りがあり丸みを帯びており×印は南北、東西に向いています。側面の南西面には「御料局」「測点」と右から、たて2行に北東面は「第六号」と、たて1行の刻字があります。

御料局測点のすぐ西には道標があり一辺11cm、地上高55cmの標石には南面にこの場所の地名「如来月」、東面に松浦武四郎の同行者「奥田利平」、西面には伊勢(三重)、大和(奈良)の県境を表す「國境」とあります。

宮三角點 瀬戸市鹿乗町

地図:高蔵寺

JR中央線高蔵寺から県道53号を東へ向かい1キロメートルあまりで庄内川にかかる鹿乗橋(かのりはし)をわたり東南にすこし進むと国道155号と県道15号の分岐があります。県道の方を東へ600メートル進むと水野川にかかる大籔橋があります。それを渡ったところに県道から分かれて南の森林に入る狭い山道があり東へ20メートル先から薄暗い雑木林の中に入ります。急斜面ですが水野川よりの尾根を10分ほど登ったやや緩くなった斜面上にこの三角点が見つかります。

標石は一辺12.5センチメートル、地上高14センチメートルの花崗岩で上面の角は隅切りがあり丸みを帯びており×印は南北、東西に向いています。側面の北西面(斜面下側)には「宮」を直径7センチメートル程度に丸くデザイン化したマーク、南東面(斜面上側)は「三角補點」の刻字があり、上面の×印は一画5センチメートルあります。

三角点の周囲はツバキなど照葉樹で囲まれ見通しは得られません。この三角点は森林管理局の台帳では瀬戸国有林にあり点名は「岩割瀬」になっています。宮三角点は側面に「宮三角點」、裏面に等級が刻字されたものが多いのですがこのような宮マークと「三角補點」の刻字例は稀です。

このような位置に三角点を設置された理由がわかりませんが、この狭い急斜面の位置からは測量はされず、他所の既知点から前方交会法により位置決めを行なったのではないかと思われます。

宮三角點 知多半島美浜町

地図:河和(こうわ)

名古屋鉄道河和線終点の河和から北西3キロメートルの地点に吉田池がありますが、さらに南へ600メートル入った、みかん畑の丘の上にあります。この標石に隣接して四等三角点「池の上」5236−17−4101標高68.5メートルがあり点の記にも宮三角点の位置が表示されています。

標石は一辺15センチメートル、角柱部の高さ15センチメートル、地上高40センチメートルの花崗岩で上面の角は隅切りがあり丸みを帯びており×印は南北、東西に向いています。側面の北西面には「宮三角點」、南東面は「四等」の刻字があります。

わたしが探訪したときは地元美浜町の展望台が工事中で標石周辺は資材置き場になっていました。

宮三角點 大府市共和町

地図:鳴海

JR東海道線共和の東北1.5キロメートルの地点、愛知用水の手前の畑地のなかに小高い丘が東西に2つあります。愛知用水寄りの西の丘は樹木が生い茂っていますが標石があるのは東の低い方で畑の延長になっており低い、みかんや柿の木も見られます。この位置は大府市ですが、すぐ北が名古屋市緑区で伊勢湾岸自動車道の名古屋南インターチェンジが間近に見えます。

標石は一辺16センチメートル、角柱部の高さ20センチメートル、地上高54センチメートルの花崗岩で上面の角は隅切りがあり丸みを帯びており×印があります。側面の北面には「宮三角點」、南面は「補點」の刻字があります。

この標石から北東500メートル、インターチェンジの手前に一等三角点「高根山」5236−47−5501標高55.1メートルのある丘があります。 初期の点の記によると、もともとこの一等三角点の土地の所有者は御料局になっており、このあたり一帯が御料地であったことがわかります。

宮三角點 岐阜城天守閣前

地図:岐阜北部

岐阜、金華山の岐阜城天守閣入り口前のベンチ西側にあります。標石は一辺15センチメートルの角柱で地上露出部の高さは13センチメートルの花崗岩で下部はコンクリートに埋没しています。上面の角は隅切りがあり丸みを帯びており×印は南北、東西に向いています。側面の北東面には「宮三角點」(「角」の下半分からは埋没)、南西面は「補點」(「點」の下半分は埋没)の刻字があります。

1567年(永禄10)織田信長が斉藤龍興(道三の孫)を破り、それまでの稲葉城の名称を岐阜城に改めました。江戸時代には廃城になり1910年(明治43)に一部復活しましたが 天守閣が再建されたのは1956年(昭和31)で、その後、大改修工事が1997(平成9)に行われています。


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