鉱山行政は明治初期から工部省鑛山司の所管でしたが1885年(明治18)には農商務省に所管替えがあり、その傘下に鑛山局が、また後年、鑛山監督署が札幌、秋田、東京、大阪、広島、福岡の6ヶ所に設置されました。1873(明治6)に太政官布告により日本坑法が、1890年(明治23)には鑛業条令が制定されましたが1905年(明治38)には鑛業法(法律第四十五号)になり現在は戦後新たに制定された鉱業法となっています。1925年(大正14)に農商務省は廃止され鑛山局は商工省(戦後は通商産業省、経済産業省)の傘下になり、また鑛山監督署は鑛山監督局(部)と名称変更になり札幌、仙台、東京、大阪、福岡の5ヶ所に再編されました。[鑛山懇話會:日本鑛業発達史 鑛山懇話會 上巻 1932 p53]
石炭をはじめ鉱物資源の採鉱のための測量は古くから行なわれており地上測量(鉱外)と地下測量(坑内)に大別できます。地上測量は一般の基準点測量や地形測量と変わりませんが地下測量は坑内であるため制約が多く、また高精度が要求されます。鉱業法によれば採鉱にあたって、まず鉱業権をを取得し一定の土地区域を確保しなければなりません。この区域を「鉱区」といいます。また鉱業権には試掘権と採掘権があり所管は当該鉱区の所在地を管轄する鑛山監督局(部)や鑛山局(現在は経済産業省の傘下)になっていました。[測量・地図百年史編集委員会:測量・地図百年史 日本測量協会 1970 p591]
鉱業権の設定にあたり鉱区の位置、形状は出願者により測量がおこなわれ区域図(鉱区図)が作成されます。所管庁では、事前に出願地方の実測が未了の場合は実地調査が行なわれ公益を害する疑いや、治水、用水に障害のおそれがあれば出願は却下されることがあります。実地調査では鉱区の位置確認や鉱業権を管理するために既存の三角点を基準とした三角測量または多角測量がおこなわれわけですが、これを鉱区地形測量や鉱区境界測量などと呼ばれます。三角網を構成するために既存の三角点が不足する場合は所管庁(鑛山監督局)独自の基準点(三角点)が設置されました。この基準点は「○○三角点」(○○は「東鑛」など鉱区を管轄する鑛山監督局の略称)、また近年は「通産省の三角点」などといわれていますが正式名称を定義した法令、内規などは見当たりません。鑛山監督局の三角点は鉱業権のある区域に多数残存しているようで「鑛東」(「東」は東京)、「鑛福」(「福」は福岡)、「仙鉱」(「仙」は仙台)と刻字のある標石が全国各地でも確認されています。[中村清彦:日本鑛業法 丸善 1927 p18]
戦後は国土地理院による四等三角点の設置、また近年はGPSなどの測量技術の進展により鑛山監督局により設置された基準点が使用されることはありません。
鉱山と関係の深い地質調査については当初、内務省勧農局地質課の所管でしたが1882年(明治15)に農商務省地質調査所が発足し、初代地質調査所長は和田維四郎(わだ・つなしろう 1856〜1920)でした。お雇いドイツ人ナウマン(Heinrich Edmund Naumann 1854〜1927)、フェスカ(Max Fesca)やシュット(Otto Schutt)などの指導により神足勝記、大川通久、阿曽沼次郎、関野修蔵などが活躍しています。
神足勝記(こうたり・かつき 1854〜1937)は大学南校(現東京大学)の出身で和田維四郎と同期であり、ともに幕末の志士であった長州藩出身の品川弥二郎(しながわ・やじろう 1843〜1900)の勧めで内務省地理局地質課に出仕しています。地質調査所の時代、1882〜83年(明治15〜16)には全国地磁気測量を行なっており、また1891年(明治24)には初代御料局測量課長に就任しています。
大川通久(おおかわ・みちひさ1847〜1897)は1876年(明治9)から翌年にかけ内務省の東京、塩竃間の水準測量に従事、阿曽沼次郎(あそぬま・じろう1850〜1916)は慶応義塾で測量術を学び工部省、内務省の測量部門を歴任、地質調査所の後1887年(明治20)北海道庁に転任、関野修蔵(1852〜1929)は1874年(明治7)内務省地理寮でお雇い英国人ウイルソンの指導のもと大阪の三角測量を行なっています。[佐藤博之:先人を偲ぶ 「地質ニュース」 工業技術院地質調査所 1983.6 p57、1983.7 p28]
当時、地質図作成の準備段階として一部、実測による四十万分の一と二十万分の一地形図が作成されています。彩色印刷であり、起伏を表すのに等高線に似たフォームライン(線の標高値不明、計数線なし)を使用、かつ英語版も作成されており後年に発行された陸地測量部の輯製二十万の一よりも優れた面があります。初これらの地図は東経136度を中央子午線とし北緯36度を中央緯線としたボンヌ投影図法で作成されています。また測量の方法は1886年(明治19)に制定された「地質局処務順序」にあります。
實測ノ方法ハ量程車ヲ以テ測線ノ距離ヲ量リ平面卓ノ図紙上ニ於テ山川湖海道路市邑等現地ノ勢状ヲ記載シ經緯儀或ハ測向羅盤ヲ以テ路傍諸山ノ高度及方位ヲ測リ又各要地ニ於テ晴雨計寒暖計ヲ観測シ海面上ノ高距ヲ算出スルノ用ニ供ス
[地質調査所:地質調査所百年史 1982 p24(地質局:地質局処務順序 1886 を引用)]
いわき市下山田の鉱山監督部三角点
地図:磐城泉
JR常磐線植田から北西4キロメートルの下山田集落近傍の四等三角点「下山田」5540−36−3101に隣接しています。四等三角点の記にあるSさん宅から南西奥に入り背丈ほどの笹薮をくぐり小高い丘の上に15分ほどで到達できます。四等三角点の南東1メートル地点に旧仙台鉱山監督部の古い三角点があります。
標石は一辺15、地上高さ20センチメートルの角柱で上面には一画4.5センチメートルの+印があります。刻字は南面に「仙鉱」(横書き)、「三角点」(縦書き、「角」は「々」の下に「肉」に似た字体)とあり他面はなにもありません。
「仙鉱」は1949年(昭和24)に設置された仙台鉱山保安監督部(現関東東北産業保安監督部)の略称です。このあたり一帯は古くから石炭の生産地になっており試掘権、採掘権が複数存在していたことが確認できます。[仙臺鑛山監督局:仙臺鑛山監督局管内鑛區一覧 東北鑛山會 1942 試掘p303、採掘p51]
いわき市勿来の鉱山監督部三角点
地図:川部
JR常磐線勿来から西へ5キロメートル、瀬戸町近傍の無名の山にあります。白米(しろよね)龍春寺向かいのS畳店の庭を通らせていただき潅木、杉の混じる尾根筋を登り20分程度で到達できました。山頂の四等三角点「後光前」(ごこうぜん)5540−25−5801の南60センチメートル地点に旧仙台鉱山監督部の古い三角点があります。このあたりは石炭の鉱区がありました。
標石は一辺15、地上高さ20センチメートルの角柱で上面には一画4.5センチメートルの+印があります。刻字は南面に「仙鉱」(横書き)、「三角点」(縦書き)とあり他面はなにもありません。
高崎市観音山の鑛山監督局三角点
地図:富岡
JR高崎の東3キロメートルにある丘陵に白衣(びゃくえ)観音の巨大な立像があり遠くからでも眺められますが観音像のすぐ西の高台に「躍進」と名付けられた彫刻作品があります。その前に設置されている四等三角点「観音山」5438−37−6801の東60センチメートルのところに鑛山監督局三角点が見られます。
一辺12、整形部の高さ12、地上高さ26センチメートルの角柱で上面には直径3.5センチメートルの窪みに一画2センチメートルの+印があります。刻字は南面に「鑛東」(横書き)とあり他面はなにもありません。上面の北東角は欠損していました。
「鑛東」は1924年(大正13)に設置された東京鑛山監督局または1949年(昭和24)に設置された東京鑛山保安監督部(現関東東北産業保安監督部)の略称です。このあたり一帯は古くから亜炭の生産地になっているようですが亜炭の採掘権が複数存在していたことが確認できます。[東京鑛山監督局:東京鑛山監督局管内鑛區一覧 江川堂印刷 1934 採鑛p12]
高崎市乗附(のつけ)の鑛山監督局三角点
地図:富岡
高崎市の観音山から1.2キロメートル北方の丘陵にある四等三角点「乗附」5438−37−8801の南15メートルほどの位置で薮のなかにあります。大平団地の奥にある「東宮殿下御手植之松 明治三十二年五月二十日」碑と水道施設間の薮を南へ30メートルほど入ったところです。
一辺12、地上高さ12センチメートルの角柱で上面には直径3.5センチメートルの窪みに一画2センチメートルの+印があります。刻字は南面に「鑛東」(横書き)とあり他面はなにもありません。
この標石の刻字「鑛東」は東京鑛山監督局の略称であり右書きで古い字体になっていることから戦前(昭和初期か)設置されたものと思われます。一方、高崎市観音山の鑛山監督局三角点とともに、いずれも1954(昭和29)地理調査所により設置された初期の四等三角点の近傍にあります。四等三角点は地籍調査のため鑛山監督局三角点よりものちに設置されたものです。
岐阜御嵩町顔戸の鑛山監督局三角点
地図:美濃加茂
名鉄広見線、顔戸(ごうど)の北に位置する里山にあります。麓の八幡神社の裏から急峻な坂を登り奥社を過ぎしばらく尾根道をすすむと間もなくなだらかになりますが道から東2メートルのところに鑛山監督局三角点が見られます。
標石は一辺12.5センチメートル角、地上高さ23センチメートルの花崗岩で上面には一画6センチメートルの+印、南面には東京鉱山監督局の「東鑛」、北面には「三角點」の刻字があります。
この位置からさらに150メートルほど登ったところが「顔戸山 茸山標柱」の金属杭と「御嵩No.1852」のコンクリート杭があります。ここから八王子山の三等三角点までは20分程度で到達できます。
岐阜御嵩富士の鑛山監督局三角点
地図:御嵩
名鉄広見線、御嵩(みたけ)の北に石庭で知られる愚渓寺がありますが、このお寺のすぐ北東にある標高292メートルの山は地元では「御嵩富士」(高尾峯)と呼ばれています。お寺の北の墓地から北東へ回り込むと林道があり小さな溜池のそばを通りヒノキの林に入ります。森林開発公団の造林地になっており、ところどころにある赤いテープのある急峻な踏み跡が山頂までついています。山頂には小さな祠があり、その南西12メートル下に標石が見られます。
標石は一辺12センチメートル角、地上高さ30センチメートルの花崗岩で上面には一画6センチメートルの+印、南面には東京鉱山監督局の「東鑛」、北面には「三角點」の刻字があります。
御嵩町の鉱区では亜炭の採掘権のほか金、銀、銅、鉛、亜鉛、硫化鉄などの試掘権が設定されていました。[東京鑛山監督局:東京鑛山監督局管内鑛區一覧 東京鑛山監督局 1940 試掘p162、採掘p58]
福岡江辻山の鑛山監督局三角点
地図:福岡
博多の中心部から約7キロメートル、JR香椎(かしい)線の土井から江辻山山頂まで徒歩20分程度で到達できます。粕屋町の県道21号に面した「将軍地蔵」と呼ばれる神社から竹薮のなかの舗装道を登ると長勇(ちょう・いさむ 陸軍中将)の墓地があります。東の高台の草むらに標石が見られますが標石の約1メートル南には四等三角点「江辻山」5030−33−5801の金属標があります。また標石のそばにはコンクリートの境界杭が引き抜いて放置されていました。
標石は一辺15センチメートル角、地上高さ20センチメートルの花崗岩で上面には一画4センチメートルの+印、南面の刻字は福岡鉱山監督局の「鑛福」(横書き)、「三角點」(縦書き)と読めなくもないという程度で彫りが薄く廃点のため表面を削ったのではとも思われます。標石だけでは鉱山監督局とは断定できませんが四等三角点の記には「北0.95mに鉱山監督署基準点(標石)あり」となっています。