菱形基線測点
菱形基線(Rhombus Base Line)は地表面の水平方向の変動を調べるために設置され測点4点で菱形が形成されています。菱形頂点の位置で各頂点間を対角線も含め6ヶ所を正確に測量し菱形の面積の変化、地表面の水平方向の変動を検出し測地学研究や 地震の予知などにも利用されます。わが国では戦前に文部省測地学委員会により三鷹の天文台に一辺100メートルの菱形基線が、また戦後は地理調査所により長距離の菱形基線が15ヶ所に設置されました。基線の測定には、このほかに放射基線(Radial Base Line)測点というのもあります。これらは測地学上の観測のためで三角測量の際の基線測量とは目的が異なります。
三鷹菱形基線
地図:吉祥寺
東京三鷹市の国立天文台構内に一辺100メートルの正三角形を2つつないだ三鷹菱形基線があります。1915年(大正4)に文部省測地学委員会が設置し翌年から1943年(昭和18)まで同委員会の委託により陸地測量部がほぼ毎年、測定し成果は毎回発表されていますが基線測定の開始までに比較基線を介した基線尺の検定が入念に行われていることがわかります。1923年(大正12)の関東大震災では地殻変動を明瞭にとらえました。[原口昇:三鷹菱形基線測量「測量」日本測量協会 1972.4 p10][陸地測量部:測地学委員会報告 三鷹町基線測量 昭和十六年十二月 1941][測地調査研究室:三鷹菱形基線測量に就いて「地理調査所時報」4号 地理調査所 1948 p2−3]
戦後は地理調査所、のちには国土地理院が引継ぎ2〜7年の間隔で測定されています。端点間の距離測定はインバール基線尺を用い1971年(昭和46)まで継続しましたが1977年(昭和52)の測定から光波測距儀が使用されています。測定結果は地震予知連絡会などに報告されています。
観測台は構内北西の林のなかにあり高さ1.1メートルのピラミッド状の金属カバーで覆われています。4ヶ所の端点はそれぞれ一辺2.7、深さ1.7メートルのコンクリート枡の中に光波測距儀や反射鏡を載せる三脚を設置するため一辺1.2メートルのコンクリート基礎、さらに中央に一辺38センチメートルの大理石の基台があり、真中に金属標があります。観測は気象の影響をすくなくするため日没前後2時間で行われます。かつて相模野基線にあった基線尺比較室は大正初期に東京天文台の、この位置に移設されました。1927年(昭和2)には新たな比較室が建設され間口3メートル、奥行き40メートル程度の細長い建屋で5メートルごとに顕微鏡台がありましたが現在は撤去され跡形もありません。
大文字山 菱形基線測点
点名:大文字山
地図:京都東北部
お盆の送り火で有名な大文字山にあります。5メートルほど離れたところには三等三角点「鹿ヶ谷」5235−46−1501もあり京都市街が望めます。一辺25センチメートルの八角形コンクリート柱で上面中央には直径3センチメートルで+印のある金属標が埋め込まれ柱石には幅12、高さ6センチメートルの金属プレートに「NO.29 基本 菱形基線測点 建設省国土地理院」と刻字があります。上面に電波(電磁波)測距儀などの観測機器を置き測量を行いました。菱形の各点は大文字山29号のほかに追分30号、花山天文台31号、新山科浄水場32号の4点で「京都菱形基線」が構成されています。どの柱石も地上高さは50〜70センチメートル程度です。
京都菱形基線は1969年(昭和44)、翌1970年(昭和45)と1981年(昭和56)の3回、測量が実施されましたが観測年間の辺長差は0〜3センチメートルで注目するような地殻変動は認められませんでした。[国土地理院地殻調査部:京都菱形基線測量結果「地震予知連絡会会報」26巻 1981 p255]
追分 菱形基線測点
点名:追分
地図:京都東南部
大津市小関越の三等三角点「神出」5235−36−9801から尾根伝いに、ところどころ見られる官林境界杭にそって15分程度のところにあります。周囲の展望はありません。柱石側面の金属プレートにはNo.30の表示がありました。
花山天文台 菱形基線測点
点名:花山
地図:京都東南部
京都大学花山天文台の構内、太陽館前にあります。現在は周囲の建物のほか樹木が茂り見通しはよくありません。地上高さ70センチメートルのコンクリート柱で柱石南面の金属プレートには「NO.31 基本 菱形基線測点 建設省国土地理院」が刻字されていました。このプレートの下に、なにかを引っ掛けるような金属が露出しているのに気づきましたが用途はわかりません。
新山科浄水場 菱形基線測点
点名:浄水場
地図:京都東南部
山科勧修寺にある京都市水道局新山科浄水場にあります。構内東の小高い竹やぶのなかで事前の許可と職員の案内がなければ菱形基線測点の場所へは立ち入りできません。地上高さ56センチメートルのコンクリート柱で柱石南面の金属プレートには「NO.32 基本 菱形基線測点 建設省国土地理院」が刻字されていました。
天測点・子午線標
日本の三角点の経緯度はすべて東京の原点を基準にして原点からの位置を三角測量によって求めています。また三角網の向き(網に含まれる三角形の各辺の方位角)も原点方位角を基準にしています。しかし原点方位角だけで日本中の三角網の向きを決めるのは無理があります。これは実用上は問題ないのですが地球の形を定めるという測地学的には三角網の極めてわずかな「ひねり」があるからです。戦後、一等三角網の精度を向上するため天文測量といい要所々々で天体観測から経緯度と方位角を求めることもしました。この位置を天測点といい1954年(昭和29)から1958年(昭和33)に全国で48点が設置されました。天文測量によって求められた座標を天文経緯度といい三角測量によるものを測地経緯度といいますが両者が一致しているのは東京の原点だけです。このことは2002年(平成14)4月に新測量法が施行されるまでの日本測地系でのことです。また天測点と対になっている子午線標というのが天測点とはかなり離れたところにあります。天測点での観測は子午儀がつかわれていましたが、その後、軽量のアストロラーベ(恒星の高度角を測定して緯度、経度を同時に求めることができます)やGPSなどの高性能の観測機器が出現したので1959年(昭和34)以降は設置せず現在まで450点の三角点上で天文測量が実施されました。天文測量により経緯度を求めた点をラプラス点(経緯度と隣接する三角点に対する方位角を測定)とかロート点(経緯度のみを測定)といわれます。天文経緯度と測地経緯度は鉛直線偏差(地球楕円体の接平面に立てた垂線にたいする鉛直線の傾き)で異なってきますが、その関係はラプラスの条件式で表されます。
天測点は標石というより観測台です。形状はコンクリートの柱で一辺27センチメートルの八角形、地上高さ1メートル程度になっており、この上に子午儀を載せ天文測量をします。設置当初はカールバンベルヒ製70ミリ子午儀がつかわれたようで、これと同形の子午儀が国立天文台に残っています。
子午儀の望遠鏡は天頂から子午線方向だけに動きますが、水平方向には動きません。このため天測点での子午儀の設置や観測中に機器の動きを点検するために真北か真南に子午線標を設置しました。子午線標には天測点からの夜間観測のために灯火付きの目標物が設置されました。子午線というのは地球表面上で経度のひとしい南北の線で方位が十二支の動物で表されていた頃は北を子(ね、ネズミ)、南を午(うま、馬)といった名残です。子午線にたいして東西方向の等緯度線は卯酉線(ぼうゆうせん)といい天頂において子午線と直角に交わる大圏(たいけん)になり天球上の基準線とされます。
天測点は容易に繰り返し観測ができるようコンクリートの観測台になっていますが、昭和20年代には観測台ではなく観測位置だけをとどめる「方位標」という標石が設置されたこともあります。天測点、子午線標は永久標識とされているのですが、これは後続作業(再現作業)が予定されているからです。三角点を最初に設置するときには元位置で相手の見通しがなくても編心点や高測標などを設置して正確に方位を測定しますが天測点に対する子午線標は必ず見通しがきくところに設置されます。
宇都宮八幡山 天測点
地図:宇都宮東部
JR宇都宮の北西1.5キロメートルに位置する八幡山(はちまんやま)にあります。南側の車道から山頂の広場にでたところの小山に鳥居、祠跡、一等三角点、天測点がところ狭しと建っており天測点は三角点の西南約4メートルの位置にあります。
この天測点は横65、縦45、高さ118センチメートルの立方体で上面中央には直径4センチメートルの+が刻印された金属標がまた側面には横8.7、縦20センチメートルの金属板に「第一六号 天測点 地理調査所」と縦書き3行で刻字されています。
富山白鳥城址 天測点
地図:富山
富山市街から神通川をはさみ西の丘陵一帯は呉羽山といわれ、その最高地点には白鳥城址があり本丸跡の中央に一等三角点と天測点が見られます。
この天測点は一辺65、高さ120センチメートルの立方体で上面中央には直径4センチメートルの+が刻印された金属標がまた側面には横8.7、縦20センチメートルの金属板に「第 号 天測点 地理調査所」と縦書き3行で刻字されています。
鷲峰山 天測点
地図:笠置山
京都南部の宇治田原町にある鷲峰山(じゅぶさん)の天測点は一等三角点(点名:鷲峰山)から5メートルほど離れた位置にあります。「天測点 地理調査所」の金属プレートが貼り付けてありました。天測点もやはり点の記があり調べると1957年(昭和32)5月に選定、第32号と選定者の名前、簡単な位置の説明が載っていました。
鷲峰山 子午線標
地図:笠置山
鷲峰山の子午線標は天測点の南6.5キロメートルの地点で木津川に沿った木屋(こや)の集落の北東部(二万五千分の一「笠置山」)にあるのですが昔の点の記には子午線標の所在は木屋のある人のところで尋ねよとありました。その家を探しだしたのですがご本人はすでに30年まえに他界されており娘さんである88歳のお婆さんが親切に応対していただいたのですが結局わからずじまいでした。木屋峠の北から東へ入る林道をとおり標高点384メートル附近をくまなく探したのですが見当たりませんでした。近年、南山城横断林道が開通したためその際、撤去されたのかと思っていましたが最近まだ現存しているとの報せがあり2001年3月にもう一度探してみました。標高点384メートルの100メートル程度西よりで送電線が林道の北側の谷に見えるところがあります。この位置は鷲峰山の天測点から真南にあたるところです。林道の南側の林のなかで子午線標と刻字盤のあるコンクリート柱をみつけました。30センチメートル角、地上高140センチメートルの角柱で上面には東西方向に長さ24センチメートル、幅3.6センチメートルの金属指標があり中央に○でかこまれた+が刻印されています。また北向側面には長さ14.5センチメートル、幅9センチメートルの金属製名称板があり「第 号 子午線標 地理調査所」と縦書きで刻字されています。子午線標の周囲は潅木が茂っていますが樹木の間から鷲峰山が望めます。この子午線標も天測標と同時期の1957年(昭和32)5月に選定されています。
多祢寺山 天測点
地図:青葉山
京都府北部、東舞鶴市の多祢寺山山頂にある天測点です。多祢寺の北の林道から徒歩30分程度で登ることができます。山頂は草原になっておりかつての軍港、舞鶴港を見下ろすことができ砲台跡も残っています。一等三角点「多祢寺山」5335−23−4001の南約3メートルに位置し、子午線標は3.8キロメートル南の山中にあるようです。1957年(昭和32)5月に選定、第34号の天測点です。
長崎八郎岳 天測点
地図:長崎西南部
長崎半島の南部にある山で山頂近くまで車道があり簡単に登ることができます。草原状の山頂から長崎港をはじめ360度の展望が得られます。一等三角点のすぐそばには天測点があり、これに対する子午線標は4.5キロメートル北の大久保山にあります。標石は一辺28センチメートルの8角形で地上高さ140センチメートルあります。
長崎八郎岳 子午線標(大久保山)
地図:長崎西南部
長崎港の港口に新しく架橋された女神大橋近くの下水処理場から尾根筋を登り長崎台場跡を経て大久保山山頂へ40分程度で達せられます。三等三角点「大久保」4929−06−5801のすぐ南に八郎岳にある天測点と対になる子午線標があります。
方位標
方位標(Agimuth Maker)は任意の観測点において、ある方向の方位を一定に保持するため地上に設置された目標と定義されており天測点とされたこともあります。また多角測量で四等三角点と同等につかわたこともあります。ここでは天測点相当の方位標について説明します。[田島稔編:測量用語辞典 山海堂 1997 p298]
銚子 方位標
地図:銚子
銚子にある地球展望台(地球の丸く見える丘)で見つけたものです。一等三角点「高神村」の西約3メートルのところにあります。一辺12センチメートル、高さ(刻字部)15センチメートルの角柱です。東面に「基本」、南面に「方位標」、西面に「地理調」の刻字がまた上面には+の刻印があります。国土地理院の前身である地理調査所の時代のものと推測されます。
一等三角点のそばにありますから天測点と同等の目的であったと考えられます。かつてこの位置に天測点(子午儀を置く観測台)もありましたが、後年なにかの都合で天測点が撤去され方位標のみ残ったようです。国土地理院の測量標原簿によれば方位標は1953年(昭和28)、天測点は1956年(昭和31)に設置されています。
岡山大平山 方位標
地図:有漢市場
岡山県高梁市の北東へ車で40分、有漢(うかん)町の大平山にあります。頂上の無線中継所の北西にある一等三角点「大平山」の標石から北10メートルのところに方位標の標石が埋設されています。標石の北面に「方位標」、東面に「地理調」、南面に「No3」、西面に「基本」と刻字があります。
国土地理院の話では大平山の天文測量は1950年(昭和25)に実施され方位標もそのときに設置されています。当時の天文測量の目的は地震による地殻の水平変動を算出する場合、不動点を仮定するのに天文的方位を測地三角網に取り入れることによってより正確を期すためです。方位標と対になっている子午線標に相当するものは12キロメートル北の岡山県真庭郡落合町下一色にこの方位標と同時に設置されていますが現存するかどうかは不明です。