経緯儀
経緯儀というのは回転軸に望遠鏡がついたもので三角点の二点にそれぞれ照準を合わし目盛盤によって内角度を正確に読むことができます。望遠鏡で目標に正しく視準できるように接眼レンズの内側にはガラス板に十字線(クロスヘアー)が刻まれています。かつては十字線に、くも(女郎蜘蛛)の糸がつかわれていました。また直角三角形の相似の原理を使って距離を計測する(スタジア測量)ため十字線の上下には短い横線(スタジアヘアー)が引かれたものもあります。
望遠鏡つきの経緯儀をつかい本格的な三角測量をしたのはフランスの天文学者ピカール(Jean Picard、1620〜1682)で1669年のことです。また英国のラムスデン(Jesse Ramsden、1735〜1800)の考案による経緯儀は1790年頃から約1世紀にわたって使用されたそうです。[檀原毅:大地を測る 出光書店 1976 p49]
生田は測量の際使用した三等経緯儀を持って来たのである。大部分の器材は梱包して送ることができたが、三等経緯儀は手で持ち運ばねばならないことになっていた。 [新田次郎:劔岳点の記 文藝春秋 1977 p7]
測量器材のなかで最も重要で振動を与えてはいけないため常に人力で運びました。一等経緯儀は運搬箱を含めて60キログラム、二等で40キログラム、三等で23キログラムありました。
経緯儀の本体を胸に抱きかかえるとずっしりと重い。測量官としての愉悦感のようなものを味わうのはこんな時であった。器械はドイツから輸入したカールバンベルヒ型14センチ三等経緯儀であった。彼は、その器械を三脚台にセットすると、望遠鏡を遠くの山の頂に向け、焦点を合わせた。 [新田次郎:劔岳点の記 文藝春秋 1977 p256]
明治時代初期は日本では高性能のものがつくれなかったのでドイツ(当時はプロイセン)から輸入しました。当時1台あたり二等経緯儀で1000円、三等で400円であったそうです。(一等は不明)
写真は国土地理院所蔵のカール・バンベルヒ(Carl Bamberg カール・バンベルクとも読みます。国立科学博物館ではそのように表示されています)社製経緯儀です。等級による違いはつぎのようになっています。
精度 望遠鏡全長 輪盤直径 秒 mm mm 一等経緯儀 0.2 560 271 二等経緯儀 1 450 210 三等経緯儀 2 260 135輪盤は水平目盛盤で三等経緯儀には、べつに直径116ミリメートルの鉛直目盛盤があります。また望遠鏡でのぞく像はカール・バンベルヒ社製ではどの等級でも倒立しています。
日本の山嶽は水準測量に憑ることが出來ない事情があるから、多くは經緯儀、もしくは晴雨儀で測量するが故に、之を試みた人によって、高さが違う・・・(中略)後の登山者のために、登山用具を書き加へて置く、油紙、經緯儀、少量ブランデイ入の瓶・・・[小島烏水:甲斐の白峯 「太陽」 第十巻 第三號 東京博文館 1904 p175]
のちほど、この記述だけでなく「甲斐の白峯」全体がウエストンの紀行文を翻訳、自分の紀行として発表したものとされ植物学者の武田久吉(たけだひさきち 1883〜1972 アーネスト・サトウ元駐日英国公使の子息)が1965年(昭和40)、日本山岳会創立六十周年記念講演会で痛烈な批評をしています。またこれに対する水野勉(日本山岳会理事)の記事も興味があります。
これは最近いろいろ研究してみると、小島氏自身が登ったのではなくて、ウエストンが登った記事を換骨奪胎して、こしらえた。(中略)小島君の方は、書いたものがおもしろく読まれればいいのだから、いろいろと脚色する。それで大分嘘が入っている。(中略)第一小島君が白峯へ経緯儀を持って行ったというが、何のために持って行って、どんなことをしたか聞いてみようじゃないかというので、聞いたところが、さすがに小島君、弱った。「あれは小説だよ」・・・僅かに身をかわした。(中略)のちの登山者のために持って行くものとして経緯儀が挙げてあるでしょう。経緯儀なんてそうざらにあるもんじゃないから、持って行けって言われても持っていけるもんじゃない。持って行っても使い途はわからないのだから。[武田久吉:山岳会創立前後 明治の山旅 平凡社 1999 p334]
烏水が夢中になって山の美と登山の楽しさを伝えようとしたことを考慮にいれないと・・・(中略)ぼくは小島烏水を積極的に擁護する気はないが、「甲斐の白峰」事件はたいしたことではない。それによって烏水を強く非難するほどのことはない。たかが北岳登山のことではないか。[小島烏水:アルピニストの手記 平凡社 1996 p303 (巻末解説 水野勉:日本近代登山の扇動者としての烏水)]
一、二等経緯儀と三等経緯儀の大きな違いは前者は水平角をきわめて正確に測定するため高度角を読み取る機構はついていません。ただし望遠鏡の部分は±20度程度傾けることができます。一等三角測量の場合は辺長が約45キロメートルあるので十分に視野に入れることができます。45キロメートルもの長距離を望むためには望遠鏡の倍率をあげる必要があり焦点距離(したがって鏡筒)が長くなります。もし垂直方向にも可動とすれば水平軸の支持機構の長さや全体の重心が高くなり機械的に不安定になり精度が悪くなります。このため水平軸の回転機構を犠牲にして上下にわずかに可動できる水平角測定専用機になっているのです。
角度は読み取り精度をあげるため輪盤(輪郭盤または目盛盤)につけられた目盛を対向位置から測微装置や副尺で読み取ることができます。これは輪盤の偏心誤差を消去するためです。また垂直軸のズレや機械誤差を相殺するために望遠鏡を180度反転させて(カール・バンベルヒ一、二等経緯儀では望遠鏡をいったん外しつけかえる)同じ角度を測定し平均値を採用します。望遠鏡の位置によって正位(記号r)、反位(記号l)といいますが両方の測定でこれを一対回(いっついかい)と呼びます。一等三角測量では一つの角度を24対回(計48回)測定し平均をとりそれらを三角形の3点について行い内角の和が180度+補正値±1秒に入らなければ測定は全部やりなおしました。補正値は地球の丸さによる影響で球面三角形の球過量といいます。曲面上の幾何学は非ユークリッド幾何学とよばれ球面上に描いた三角形では内角の和は180度よりも大きくなります。
また経緯儀をもちいる測量はいつでもできるものではありません。相手の三角点が確実に視野にはいる天候で気温の変化がすくない時間帯でないとできません。朝方、太陽が昇り気温が高くなると空気の密度が不安定になり経緯儀には屈折した光線がはいって相手の像は動揺します。これは炎動(えんどう)といい相手の正しい位置を測量することができず作業を中止します。屈折の度合い(屈折係数)は屈折の量(気差)と地球の丸みによる視界からの沈下量(球差)の比(気差/球差)で7分の1程度になります。[鈴木弘道:新版 山の高さ 古今書院 2002 p54]
観測した数値など必要なデータは観測手簿(野帳)に手書きで記録されます。観測した数値には十分な信頼性が必要ですから書き直しができないようにインクで記載されます。
経緯儀のことをセオドライト(theodolite)とか、それが水平、垂直軸とも回転できるように改良され転鏡儀、トランシット(transit)と呼ばれることがありますが厳密は区別はありません。一般的にセオドライトは目盛盤はガラス製、望遠鏡の像は倒立像で、これにたいしてトランシットは目盛盤は金属製、像は正立像のようです。[山口博:おはなし今昔測量機器 「測量」 日本測量協会 1989.5 p80]
経緯儀はカール・バンベルヒとともに後年ウイルドのT3、T2型やアスカニヤのギガスという経緯儀もつかわれました。いずれにしても近年は電波(電磁波)測距儀、光波測距儀さらに望遠鏡部に同軸で光波距離計を内蔵したトータルステーション、GPSなどに替わってしまい利用されることも生産されることもまずありません。
右上の写真はウイルドT2型経緯儀です。国土地理院の測量機器性能標準ではセオドライト1級になります。カール・バンベルヒ一等経緯儀よりも精度が悪いようです。カール・バンベルヒは既に使われなくなった過去の測量機器で国土地理院には登録されていません。また現在、測量機器の等級づけには「等」でなく「級」をつかいますがウイルドT3型経緯儀はセオドライト特級に分類されています。なお「精度」については国際的な規格による「不確かさ」(uncertainty)という用語がつかわれます。
右下の写真はトータルステーションの例で街角でもよく見かけられます。経緯儀と光波測距儀が一体となったもので1回の視準で水平角、鉛直角、斜距離を同時に測定できます。光波を送受信するトータルステーション(主局)と相対する測定点に据えつけた反射プリズム(従局)を対にしてつかいます。光波を往復させ光波の波長と位相差からトータルステーションに内臓されているコンピュータにより、水平距離や高低差などを瞬時に求めることができ、観測値は自動的に記録されます。反射プリズムは近距離測定には1素子反射プリズムが、遠距離測定には3素子以上の多素子プリズムがつかわれます。
回照器と回光灯
長距離間の三角測量の場合には目標となる測標が見え難いのですが観測を容易にするために太陽光を目標点で反射させて観測点へ向ける装置がありました。これが回照器(ヘリオトロープ)で平面鏡と目標視準装置から構成されています。回照器は太陽のでている時にしか使用できないことから夜間でも観測を容易にするために目標点に指向性のよいランプを設置して観測しました。このランプを回光灯といいます。光源としては石油ランプやカーバイトを使ったアセチレンガス灯の光をレンズで集光して目標としましたが戦後は豆ランプと積層乾電池がつかわれました。回照器や回光灯はモールス信号を利用した通信手段としても利用されましたが、いずれも現在つかわれることはありません。[平木安之助:制光板・回光燈・回光通信信號法の利用に就て 「地圖」 1944.2 p37]
技術官に随行する測夫といふのが又隠れた文化の貢献者である。唯一人山頂の櫓に廻照器(ヘリオトロープ)を護って、時々刻々に移動する太陽の光束を反射して數十粁彼方の觀測點に送る。 [寺田寅彦:天災と国防 岩波新書 1938 p111]
回照器を扱う人は「測夫」のなかで「照日鏡手」と呼ばれました。[陸地測量部:陸地測量部沿革史 1922 p41(明治16年の事績)]
一昨日櫓に落雷して二人の測量手が感電し、一人は即死一人は瀕死の重傷を負うたのを、昨日漸く麓へ運び下ろした、一人では予定の通り仕事が捗るまいと案じられる。ここで観測を開始したのは六年前であるが、今年蓼科山に一等三角点の覘標が建てられたので、回光信号を交換する必要から復(また)登山したのだということであった。 [木暮理太郎:山の憶い出 上巻 木曽駒と甲斐駒 平凡社 1999 p52(明治29年の作品)]
初期の三角測量にはマニュアルとして1917年に制定された「一等三角測量実行法」というものがありました。そのなかで「選点上注意スベキ要件」としてつぎのことが記述されています。
孤島若クハ或ル特徴ヲ有シ一見紛ヒナキ山頂或ハ標旗ヲ確認シ得ルモノノ外ハ回照器ヲ用ヒテ其方向ヲ確実ニ決定ス可シ [陸地測量部:一等三角測量實行法 陸地測量部 1917 p12−13]
今朝はよく澄み切った暁である。茜色した空に、クッキリと、先方の嶺が見える−その瞬間、ピカリッと眼を射るやうな光が来た。それは向ふの覘標の上で、回照器といふものを据ゑて太陽の光線を反射させて、此方をねらって送ってよこしたのだ。経緯儀の望遠鏡は「占めタッ!」とばかり、この光線を、望遠鏡の中央の線の上に捉へて、角度を精密に読む。 [山口正:山の地形図 宋栄堂 1943 p44]
回照器は1820年ドイツの数学者ガウス(Friedrich Gauss 1777〜1855)がハノーバー地方の測量中、三角測量の目標とした教会堂のガラスに日光が反射していることにヒントを得て考案されたといいます。反射光は40キロメートル程度の距離は容易にとどき、気象条件がよければ60〜70キロメートルまで可能でした。[武藤勝彦:地図の話 岩波書店 1942 p160][壇原毅:地球を測った科学者の群像 日本測量協会 1998 p48]
光螺旋・垂直かん・垂直器
一等三角点の記に「花崗岩ヲ以テ規定ノ幅員ニ製シ光螺旋ノ直下ニ埋定ス」と記載されているものがあります。光螺旋とは測標(やぐら)に設置された机板上に器械中心を示す穴をあけるための道具です。軸が螺旋形になっておりボールト錐、南蛮錐、ギムネとも呼ばれています。光螺旋の「光」は光学的に利用する機器を据えつけることから名づけられたのではないかと思われます。
この光螺旋をつかって机板上面に対して穴を垂直にあけるために補助枠を用い金属ネジをねじ込みます。ネジは机板から約7ミリメートルほど頭部を出し使用しないときには、ここにワセリンを塗ってさびないように防護します。測標(やぐら)の机板上に設置されたこのネジに落雷したこともあるそそうです。机板上に器具をセットするときはワセリンを拭きとり器具の基盤中心にある穴を光螺旋であけたネジに合わせてを固定します。
机板上の器械中心を真下の標石上面に投影するには、まず光螺旋をつかっであけた穴にねじ込んだ金属ネジの中心に「垂直かん」(「かん」は桿の「木へん」が「金へん」になった字)と呼ばれる器具をセットします。つぎに測標から離れた位置で2方向からトランシットで垂直かんの先端を視準し上下方向(垂直面)にだけ動かして標石上面に貼り付けた白紙上に投影します。標石を新設する場合は埋設予定位置の上部に設置した水平な板(これは懸柱の底面に釘止めする)に投影します。この投影点に穴をあけ下げ振り(糸の先に真ちゅう製の円錐体の錘をつけたもの)をつるし、三角点の盤石の十字交点が下げ振りの先端に一致するよう埋設し、ついで三角点の柱石を同様に設置します。[陸地測量部:三角法式草案 1901 p84−86]
トランシットの替わりに望遠鏡部分が上下方向(垂直面)のみ回転する「垂直器」が使用されたこともあります。また標石中心を机板に投影する場合は垂直かんを動かし位置ぎめをします。図の垂直かん、垂直器はカール・バンベルヒ製ですが1909年(明治42)頃、田中希一郎陸地測量手の考案された「田中式」というのもあります。[陸地測量部:陸地測量部沿革誌 1922 p228]
測標(やぐら)の中心にある心釘の位置を机板上に投影するのも同様にトランシットで視準します。ただし測標の最上部に回光灯や反射鏡を設置する台がある場合は心釘を視準し難いので下げ振りを使います。
標石の埋設は測標中心(心釘)P、観測器械の中心B、標石中心Cが同一鉛直線上に位置するように行うのが理想的ですが懸柱を地面に埋め込む植柱式の測標や周辺の状況等により、各中心の位置がそろわないこともあります。三角点の測量の成果値は標石中心の値ですから止むを得ず観測を標石中心とずれた位置で行ったり測標中心が標石中心とずれている場合は、その観測によって得られた値を標石中心での値に修正するための計算が必要になります。
光螺旋をつかっであけた穴にねじ込んだ金属ネジは回照器のセットにもつかわれ、ひとりで回照作業を行っても回照器を容易に同じ位置に堅固に取り付けができます。経緯儀のセットも同様に経緯儀の基盤の中心を金属ネジに合わせます。光螺旋について文献が少なく、国土地理院でかつて実際に経験された測量技術者(複数)にお聞きしました。測標(やぐら)が使用されなくなった現在では光螺旋をつかうことはありません。
平板測量
三角測量や水準測量の次段階である地形測量や小範囲の簡易な測量では平板測量の方式がつかわれます。平板測量は野外で直接、図紙上に図面を描いていく測量です。三脚の上に図紙を貼った平板(測板)を置きアリダードで目標を視準し視準線の方向をアリダード縁の定規で線を引きます。平板は約40×50センチメートル、厚さ2センチメートル程度でアリダードは幅4、長さ22〜27センチメートルの金属製です。垂直に視準板が立てられます。平板を水平にする(整準または整置)ため中央には気泡管があります。求心器は図紙上に示された測点が地上の測点位置の同一鉛直線上に一致させるため平板の表から裏へ曲がった金属棒に下げ振りをつけたものです。
平板測量の機器は原理的に簡単で100年以上前からまったく変わっていません。明治初期にはフランスの測量技術が伝えられたため平板をプランシェット、アリダードはアリダードニベラトリース、磁針箱(方筐羅針)をデクリナトアールと呼ばれていたこともあります。[水尾藤久:平板測量雑記 「測量」 日本測量協会 1976.11 p26−30]
国立天文台に残る測量機器
1888年(明治21)、東京大学(理科大学)の天文台、海軍省水路部の観象台、内務省地理局の観測課天象部が合併して東京大学の組織として東京天文台が発足しました。その後1924年(大正13)に、天文台は三鷹へ移転しました。1988年(昭和63)には水沢の緯度観測所などと一緒になり国立天文台となり、さらに国立天文台は文部省、文部科学省の管轄を経て2004年(平成16)から大学共同利用機関法人自然科学研究機構国立天文台となりました。このような経緯から天文観測機器だけでなく古い測量機器も多数残存しています。[東京帝國大學:東京帝國大學學術大觀 東京天文臺 東京帝國大學 1942 p491]
右の写真上は経緯儀です。水平輪盤の直径は27センチメートルですから一等経緯儀ですが、この輪盤は国土地理院で見かけるフレーム状でなく隙間のない円盤です。「ASKANIA WERKE BAMBERG WERK BERLIN-FRIEDENAU Nr.73510」の刻印があります。同じバンベルヒでもカール・バンベルヒ(Carlbamberg)より後年の製作と思われます。アスカニア(ASKANIA WERKE) はカール・ツアイス(Carl Zeiss) のもとで修業したカール・バンベルヒ(Carl Bamberg) がベルリン(Berlin-Friedenau)で1871 年に創業したバンベルヒ社(BANBERG WERKE) を前身とする光学機器のメーカーです。
右の写真中は回照器で、格納する木箱には「回照器 東京天文台 測地學委員會」と書かれており文部省測地学委員会で使用されたもののようです。鏡、緑ガラスのフィルター、照準装置、工具などから構成されています。これも「ASKANIA WERKE BAMBERG WERK BERLIN-FRIEDENAU Nr.73600」の刻印があり経緯儀と同年代頃に製作されたものと思われます。
右の写真下は説明も銘板もありませんが子午儀ではないかと思われます。垂直輪盤の左には光電子増倍管が取り付けられるように改造した跡が見られます。この観測機器は1907年(明治40)、樺太の国境確定の際、ロシア側が使用した「天測機械」に酷似しています。発行年は不明ですが「樺太宣傳寫眞普及会本部 樺太日露國境画定事績記念寫眞帖 明治三十七年−仝四十年 遠藤寫眞館」と表紙に記載された写真帖が刊行されています。このなかに「明治四十年露國委員ノ使用セル天測機械」の写真が載っています。
国立科学博物館に残る測量機器
上野の国立科学博物館にも古い測量機器の展示があります。二等経緯儀はカール・バンベルヒ社製で陸地測量部でつかわれていたものです。戦後になってから使用された初期の光波距離計(ジオジメーター)もあります。そのほか同博物館には天測につかわれた子午儀や重力、地磁気の測定装置などの展示もあります。また展示はされていませんが切手にもなったカール・バンベルヒ社の一等水準儀のほか重力振子、ケルビン式検潮儀も所蔵されています。